研究 道 断念 救急 臨床 現場

INTERVIEW
Director of a hospital
研究 道 断念
院長インタビュー 23
救急 臨床 現場
カナダに留学して動脈硬化を研究
9時から5時までの生活スタイル
ルス、または死んだ細胞を捕食して消化します。血管の
動脈硬化巣でもマクロファージは侵入したLDLを貧食
して血管壁外に排出させる防御的役割を担っているこ
私が生まれたのは、福島県の会津若松と喜多方の中
間に位置する塩川町というところです。風光明媚な土地
柄ですが、
忘れられないのが小学1年生の遠足で行った、
とがわかりました。しかし、現在でもマクロファージは動
脈硬化形成の張本人と信じられています。
留学した教室では、役割分担がはっきりしていました。
会津盆地の西外れにある新宮熊野神社です。国の重要
だから、研究に専念することができたのです。得意分野
文化財に指定されている長床と呼ばれる拝殿があり、
があると人に頼られますので、それを目指しました。仕
舞台のような建物で観光の穴場といえるでしょう。
事は、午前9時から午後5時までと徹底していて、実験中
実家は農業を営んでいました。父から「減反政策で、
でも帰ります。逆に、5時までに終わらせることができ
農家はすることがなくなってしまった。農業は私の代で
るようなスケジュールを組むので、密度は濃かったです
おしまいだ。だから自分たちの生きる道を見つけて自
ね。日本では午前の外来に始まり、時には夜中まで勤
立するように」
と告げられ、医師の道を選びました。
務しますから、心身ともに疲れてしまいます。
国立でないと大学に行かせないと言われ、実家から
最も近い東北大学医学部に進みました。卒業後の臨床
研修は、秋田厚生連由利組合総合病院で受けました。
救急受け入れ件数は最盛期に比べ
減少傾向にあり、その対策に苦慮
当時その病院には循環器内科はなく、当然カテーテル
検査もない中、脳卒中の患者さんを約500人と心筋梗塞
結局2年間、カナダで動脈硬化の研究に従事し、帰
の患者さんを10人ほど診ました。私が臨床の弱いとこ
国後も研究を継続しましたが、
やればやるほど奥が深い。
ろをやりたいと思って、2年間の研修後、東北大学病院
だからもっと研究をやりたいと思ったのですが、2001年
第一内科(現・循環器内科)
に入局しました。でも、実際
に東北大学医学部循環器内科院内講師になると、医局
は研究が中心の毎日でした。
内の雑用に追われて研究は思うようにできなくなってし
動脈硬化がなぜ起きるのか、それを調べるためにヒト
の冠動脈を用いた研究を始めました。ヒトの冠動脈は
そして、04年に東北公済病院に赴任。研究を断ち切
動物の血管とは構造的にもその働きもまったく異なるこ
られた形になってしまいましたが、どちらにしても両立は
とがわかりました。動物実験では、とてもわかるもので
不可能です。その時点で、臨床に使命感を抱く決意をし
はないと思いました。
ました。しかし、同院に循環器科はあったものの、赤字
1995年からカナダのケベック州モントリオールにある
の診療科としてお荷物状態でした。それからは杉村章
マッギル大学医学部に留学。病理学教室を選んだのは、
彦先生と力を合わせ、循環器科の質を上げると同時に、
動脈硬化の研究ができるだろうと思ったからです。心臓
検査件数を増やすことに努めました。赴任したかぎりは、
移植を行っている病院でしたので、不要になった血管を
全力で頑張ろうと思ったのです。その結果、5年間で心
もらい受けて白血球の一つであるマクロファージの研究
臓カテーテル数は2倍、救急と冠動脈インターベンション
をしました。マクロファージは、免疫システムの一部を担
数は2倍以上になりました。
うアメーバ状の細胞です。生体内に侵入した細菌やウイ
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まいました。
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仙台徳洲会病院に行くようにと言われたのは08年末
のことでした。大学の同門である尾形公彦先生が院長
をしています。昨年末、仙台市郊外で開かれた「第69回
で、循環器科を補強したいと考えていたからです。その
TCLS(徳洲会2次救命法)
コース」には、私や渡部部長
後、尾形先生は「臨床に専念したい」
と希望されたため、
をはじめ、医師、看護師、コメディカル、事務の計17名が
徳洲会から私に院長の打診があり、私もそれを了承し
参加しました。一方で、救急カートの院内統一を図りま
ました。その後、徳田虎雄理事長と初めて面談しました。
した。それまでは、救急処置室をはじめ各病棟でカート
ALSであることはうかがっていましたが、ポイントを突
内の備品や常備薬にばらつきがあったからです。さらに、
いた鋭い言葉が印象的でした。しかし、難解な言葉は
ガス中毒や急性末梢血管障害、脳梗塞などの救急適応
まったくありません。強烈な驚きがありました。自己紹
疾患に対応するため、高気圧酸素療法(HBO)
を行う機
介をすると、
「頑張ってください」
と笑顔で言われました。
械をこれまでの1台から2台に増やしました。その結果、
仙台徳洲会病院には、15年前に当直のアルバイトで
昨年のHBO治療件数は1163件で、南部徳洲会病院(沖
数回通ったことがあります。救急対応で寝ていられな
縄県)、湘南鎌倉総合病院(神奈川県)
に次いでグルー
かったことを覚えています。院長として着任した昨年、救
プ病院では第3位になりました。
急受け入れ件数は最盛期に比べ減少傾向にありました。
当院は、外来の看護師が救急に対応するシステムを
救急で頑張ってきた病院なのに、受け入れを断ることが
取っています。日によって状況は変わりますが、救急車
多かったのです。当直医などが個人レベルで判断してい
が到着したり外来から救急に運ばれた人がいると、師
たからで、当院としての救急受け入れ基準が明確になっ
長が看護師を配置します。外来の看護師は救急を優先
ていませんでした。当院にはERがありません。そこで現
しています。医師だけでは救急に対応することはできま
状を調べて問題点を整理、幹部会に諮って救急の患者
せんので、看護師たちの働きはとても大きいといえます。
さんが安心して来院できる体制づくりに着手しました。
病院全体が、救急優先の対応をしています。だから、
退院可能な患者さんは早期に老健
(介護老人保健施設)
09年9月から10年1月まで
救急受け入れが連続して300件を突破!
などの福祉施設や自宅に戻っていただくようにしていま
す。そのために、朝礼や医局のカンファレンスでは必ず
空きベッドの状況が担当者から報告されるようになりま
まず、脳神経外科の渡部憲昭部長を中心に、救急管
した。今年1月のことですが、救急の患者さんが増えて
理委員会を設置しました。救急隊の依頼を受ける窓口
ベッドが足りなくなり、山形徳洲会病院からベッドを借り
は医事課が担当し、医師や看護師に連絡するシステム
ました。ちなみに、昨年1月の救急搬入の断り件数は
を確実なものとしました。09年10月からは毎月1回、全
136件でしたが、今年1月は76件に減少しています。新病
職員を対象とする救急学習会を開催しています。救急
院ができればERセンターを設けたいと思っていますが、
対応マニュアルも作成し、関係部署に配布しました。理
それにはまだ時間がかかります。今年1月の救急搬入件
想は全ての救急に対応することですが、診ることのでき
数は324件。昨年9月から連続して月300件を突破してい
ない疾患があります。各科で診ることのできない疾患は
ます。仙台市泉区の救急要請に、十分に応えられる病
明記することにしました。整形外科も、指の切断などの
院を目指し、今後も頑張っていきたいと思っています。
再接着には対応できていません。
救急対応マニュアルは、消化器科や循環器科、外科、
脳神経外科などオンコールで時間外のバックアップ体制
を取っている診療科、オンコールではないけれど可能な
かぎり対応する診療科、診ることができない疾患とでき
ない処置、救急体制について、各疾患別の初期対応、
緊急連絡時の対応(連絡手順)
などからなっています。
第1回救急学習会には58名の職員が参加しました。こ
の会では、各診療科の医師が初期救急対応などの講義
(ふくち・みつまさ)
1956年、福島県会津若松市出身。81年東北
大学医学部卒業。秋田厚生連由利組合総合
病院で臨床研修。83年東北大学病院第一内
科(現循環器内科)入局、95年カナダのマッ
ギル大学留学、01年東北大学医学部循環器
内科院内講師、04年東北公済病院勤務、09
年4月より現職。専門は循環器内科。
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