1 週刊ホテルレストラン バーチャルホテル再生への道Ⅱ 「7人の老人棒

週刊ホテルレストラン
バーチャルホテル再生への道Ⅱ
「7人の老人棒」3
海老原靖也
―コーヒーサロン 貴族の館(続)―
「リョウちゃんの話はいつ聞いても面白いな!もっと先を話してく
れよ。まだ時間は大丈夫なんだろう!」
身体の大きい大ちゃんこと元リゾート温泉旅館の番頭篠原大吉(6
7歳)が何となくざわついている後を気にしながら言った。大ちゃ
んの隣に座ってリョウちゃんの話しに夢中になっている丸めがねの、
通称めがねの健さんこと元建設会社のサラリーマン川原健太郎(6
4歳)も後を振り向いて言った。
「今、良いところだぞ!ジョージも一緒にもう少し聞かないか」
すると、気の短いジョージこと元デューティーフリーショップ店長
の村岡譲二(62歳)は自慢のローレックスに目をやり、
「もう、そろそろホームのヨン様を見舞いに行く時間だよ。面会時
間が少なくなるから急ごうよ!リョウちゃんの話は又いつでも聞け
るじゃないか」
ジョージは落ち着かない様子をそのまま態度に表した。
「でも、まだ時間はあるよ、なあ玄さん大丈夫だろう」
旅館出身の大ちゃんにはリョウちゃんの話が人一倍興味あるとみえ
て、食い下がった。
「リョウちゃん、その〝ホテルR作戦〟の話しはすげえ話だ。俺も
先が聞きたい。でも今日じゃなくても聞かせてくれるよな。この続
きは後でということでいいよな!」
とジョージもすかさず返した。
「そういえば教授がまだ来てないな!教授が来るまでリョウちゃん
の話をもう少し皆で聞くか」
と玄さんがジョージの顔を見ながら言った。ジョージは外人がする
しぐさで両手を広げ肩を少し上に上げた。
*
外は9月だというのに盛夏同様でまだ暑い。コーヒーサロン 貴族の
館は通りから少し引っ込んだところに建物が建てられている。この
1
ほんの少し余裕ある場所に日よけのウォーニングを張り出し、屋外
でもコーヒーが飲めるよう2人掛けのテーブルが4つ用意してある。
しかし、この暑さでは誰も屋外のテーブルを利用する者はいない。
オーナーの玄さんはパリやローマは店の外でコーヒーを飲むのが当
たり前と、力を入れて店の設計をしたのだがどうも見込み違いのよ
うであった。春や秋には時々夕方座ってくれる人がいるが、飲み物
を飲むときは中に入ってきてします人もいる。ヨーロッパでは夏で
も冬でも1年中店外の席から埋るのであるが日本ではだいぶ事情が
違うようだ。
2年ほど前、珍しく今日のような暑い日に一人の老人がこのテラス
席に腰掛けてくれた。玄さんはこの店外の席をテラス席と呼んでい
る。久々にテラスを利用しようとする客に気をよくした玄さんは、
早速注文をとりに店外に出た。
するとその老人は、
「すまんが少し休ませてくれんか? 今日は暑くてかなわん。近頃の
暑さは異常じゃ」
玄さんは、やっぱりと気落ちしたが、お客ではないが、こんな風に
利用してもらうのも地域貢献と気を取り直し、
「本当にいつまでも暑いですね! よろしければ、冷たい水でも召し
上げってください」
とグラスに氷の入った水を老人のテーブルに置いた。すると老人は、
「ほほー! この店は客でもない私に水を下さるか。ありがたい遠慮
なくいただくことにしますよ」
老人は美味そうに差し出された水を飲み干すと、
「実はわしがいま一番飲みたい飲み物はチャイなんじゃが、おたく
には置いてはおらんだろうな」
「チャイと申しますと、あのトルコの人が毎日飲んでいるお茶のこ
とですか?」
玄さんが聞き返すと、老人は少し驚いたような顔で、
「ほほ! あなたはチャイをご存知とみえるな。その通じゃ、トルコ
人なら誰でも朝から晩まで毎日何杯も飲むそのチャイじゃ。あれは
疲れが取れるし暑さにもよい。ところで、あなたはトルコをご存知
なのか?」
「はい、いいえ、知っているというほどのことはありませんが、実
2
は私は、昔コックをやっておりました。若いころ修行でトルコに1
年ほどいたことがありますので」
「ほほー! それは恐れ入った。トルコに住んでおられたのか。又ど
うしてトルコなどで料理の修業をされたのかな?」
「いや、最初はフランスで修行をしておりましたが、そのうち料理
文化の原点に興味をもちはじめ、シルクロードで中国とヨーロッパ
を結んでいるトルコに何かヒントになることがあるのではないかと
思いまして」
「あなたは鋭い方だ。トルコにはアジアとヨーロッパの文化や歴史
が山のように残っておる。わしもあなたと分野は違うがトルコで発
掘の仕事を何回もやってきた。ところであなたはトルコのどこで修
行されたのかな?」
「私は、イスタンブールにあるチュラーン・パラス・ホテル・ケン
ピンスキーというホテルですが」
「何と! チュラーン・パラスとおっしゃったな。あの宮殿のような
素晴らしいホテルでな。素晴らしい、実に素晴らしい。今日は、暑
くて往生したがこんな良い方にお目にかかれて大変良い日じゃ」
玄さんもフランスでの料理修行の話はよく聞かれるが、トルコでの
話はわかってもらえる人もいなくあまりする機会が今までなかった
ので嬉しくなった。
「私は、フランスではアラン・シャペルという料理人の下で修行を
しておりましたが、料理の味付け、素材、調理方法などフランスに
元々なかったものが随分ある事に気付きました。最初はイタリヤ料
理を研究すれば疑問が解けると思いましたがそうでもありませんで
した。私はそのほかの料理、特にアジアの料理も影響しているので
はないかと思うようになったのです。なぜならアジアからヨーロッ
パに入ってくる物は昔から沢山ありました。陶磁器、繊維、香料な
どは、必ずしも船によって輸送されたのではなく陸路からも沢山運
ばれてきたことを知ったからです。陸路であるなら原産国の商人た
ちが直接ヨーロッパ市場や途中の中継地まで商品を運んできたはず
なので、そこには必ず商人たちを通した食文化が持ち込まれたはず
だと考えたのです。するとある人から、昔の中国の長安からヨーロ
ッパのローマを結んでいたシルクロードには様々な文化が残ってお
り、まさに東西の中継地点であったトルコは文化の宝庫だと聞かさ
3
れました。トルコには今でも商隊が宿舎にしていたキャラバン・サ
ライの跡が残っていると聞かされ、もう居ても立ってもいられなく
なり、トルコ行きを決心した次第です。トルコは予想以上に素晴ら
しい国でした。そして多くのことを学ぶことが出来ました」
玄さんは、初対面の老人に今まであまり人に話したことのない話を
始めてしまっている自分にふと気付き、
「すみません、暑い中こんな話を長々としてしまいまして」
と、恐縮すると、老人は、
「いやいや、益々いい話を聞かせていただいた。私は大学で歴史を
教えておるものですが、最近この近くに越してきました。これから
ちょくちょくお邪魔させていただきます。その折にトルコ談義を是
非やりましょう」
老人はニコニコして玄さんの様子を頭の先からつま先まで改めて見
直した。
「ところで、あなたは今は料理人をおやりになっていないようだ
が?」
と鋭い観察力で質問してきた。
「はい、私はトルコで勉強した後、再びフランスに戻り、今度は、
宿泊を伴うホテルで料理人をやろうとクリヨンというホテルで修行
をしました。その後、縁あって東京の帝国ホテルに迎えていただく
ことになりました。しかし、帝国ホテルも時代の波にはかなわず、
営業不振のフランス料理のレストラン フォンテンブローの閉鎖を
余儀なくしたため、私はこれを機に独立し自分の店を持つことにし
ました。私の店は順調に行っていたのですがスポンサーになってい
ただいた方の会社が突然倒産したため、私は店を手放さざるを得な
くなりました。私はそのときもう60歳を過ぎていたので、これが
チャンスと昔からの夢だったコーヒーサロンをのんびりやる事にし
たのです。料理人には全く未練はありません」
玄さんは自分の生い立ちを店先の暑いテラスですっかりこの老人に
話してしまった自分に驚いた。
これが玄さんと教授の最初の出会いであった。このときを境に教授
は本当に玄さんの店にちょくちょく現れるようになり、常連客とな
ったのである。当然のことながら教授は玄さんの店にチャイのセッ
トを一式持ち込み、トルコの薀蓄とともにお茶を楽しんでいるとい
4
うわけである。
*
リョウちゃんの話の続きをこのまま聞くのか、それとも出かけるの
か、問答していたところに、皆に教授と呼ばれている貝原純一元東
都国際大学名誉教授(70歳)が入ってきた。
「やあ、皆集まっておるな。遅れてすまん、すまん」
教授は額の汗をクシャクシャの白いハンカチで拭きながら
「玄さんすまんが先ずはチャイを一杯お願いする。これでも老骨鞭
打って急いで来たのじゃが、時間には間に合わんかった」
「教授、遅れないで早く来る方法はたった一つ、家を早く出ること
です」
ジョージはいつものようにストレートなものの言い方をした。一応
ジョージにとっての精一杯の皮肉なのである。
だが、教授はこの程度の言動には決して動じることはない。さすが
大学教授である。授業中浴びせられる罵詈雑言があるかどうか知ら
ないが、学生の雑音なんか気にしていたら授業が進まない。日ごろ
鍛えられているせいもあるのだろう、ジョージに軽く言い返す、
「せっかちは怪我のもと、あわてず、転ばず、怪我もせずじゃ。ジ
ョージよ、あんたは気が短い、いつもあわてんように気を付けにゃ
いかんよ。物事は時にはプロセスより結果がモノを云う。今日は私
の遅れより、先ずは結果をご覧ぜよだ!皆さんよく聞いてください
よ、例のもの手に入りましたぞ」
教授はそこまで言うと、玄さんの差し出したチャイに小さな角砂糖
を2つ入れ美味そうにすすり、一拍おいてから
「まあ、この話はあわてずとも後でよい。今日は先ずはヨン様さま
の見舞いが先じゃな」
といつものポーカーフェースで自分から言い出した話題を中途半端
に終わらせてしまった。
すると大ちゃんが、
「教授それはないよ、人に途中までしゃべって勝手に話を止めない
で欲しいね!今日はリョウちゃんの話はこの辺にして、今度は教授
の話をみなで聞こうじゃありませんか」
「大ちゃん、俺もそう思うが、もう出かける時間だよ。話は一旦こ
こまでにして、ヨン様の見舞いが済んでから、又ここに全員集合っ
5
てのはどうかな」
めがねの健さんがそう言うと、教授が
「それで万事よし、見舞いが済んだら、ここで打ち合わせというこ
とじゃ。これで一件落着。リョウちゃん、あんたにはこれから色々
と教えてもらわにゃいかん。今日は帰らんで下さいよ!」
「リョウちゃんは、この頃すっかり元気になった。今日も調子良さ
そうだし、大丈夫だよね、リョウちゃん」
玄さんはリョウちゃんに片目をつぶって見せた。
「私はいつでも大丈夫だよ!」
リョウちゃんは本当に元気そうに答えた。
・・・・・次週号に続く
6