地質博物館能 「さざ波の化石」

磯 辺 公 園 か ら 海 岸 に 沿 い北 に 延
、
び る道 は
質 時 代 を 経 て波 の模 様 が そ のま ま
。
化 石 にな った のであ る
こ の石 は アイ ダ ホ 州 中 央 部 の産
、
と 聞 いた が そ こ は か つ て の海 の
、
底 先 カ ンブ リ ア時 代 か ら 古 生 代
ま で の古 い地 層 公 一
十 億 年 前 ∼ 二億
、
五 千 万 年 前 ︶が堆 積 し た 所 で アリ
ゾ ナ 州 のグ ラ ンド キ ヤ ニオ ン に通
じ いた かも 知 れ な いのだ 。
て
﹁
さ ざ 波 の化 石 ﹂は ︵ 日 本 でも 各
、
形 が 良 く て大 規
、
地 で見 ら れ る が
模 な も のは 天 然 記 念 物 に指 定 さ れ
。
採 掘 は禁 止 であ る
プ ル に は ロ ッキ ー 山 脈 の石 と あ っ
、
た が 山 の石 と は 見 え ず 海 の石 と
。
感 じた そ う だ
、
、
確 か に これ は 海 の石 詳 し く
。
さ ざ 波 の化 石 ﹂と 呼 ば れ るも の
は﹁
能 古 の海 岸 で か つて の安 ら ぎ を 取
り戻 し て いる のだ ろう か。
自 然 環 境 を 尊 重 す る と いう 考 え が
。
実 現 し た こと に感 謝 し た い
、
、
し か し 敷 石 と な った 彼 ら は 今
ここの﹁
さ ざ 波 の化 石 ﹂は 砂 浜 の
、
色 に合 わ せ た と いう よ う に 灰 褐
、
色 の細 粒 砂 岩 で 細 か い層 理 が 発
、
、
達 し 板 状 に割 れ や す く 敷 石 と
し ても 最 適 であ る。
、
ま た 護 岸 の法 面 に は 大 量 の玄
、
武 岩 の大 塊 が 使 わ れ て い る が こ
。
れ は 長 崎 県 五島 の石 と の こと だ
さざ波
能 古 島 に ロ ッキ ー 山 脈 の ﹁
、
。
の化 石 ﹂ 何 気 な い つな が り だ が
海 底 の砂 層 表 面 に残 さ れ た さ ざ 波
、
の模 様 の上 に砂 が 堆 積 し 長 い地
か つて こ の道 の建 設 を 担 当 さ れ
、
た 福 岡 市 港 湾 局 の担 当 者 の話 で は
、
こ の道 は ﹁
遊 歩 道 護 岸 ﹂と 言 い 平
成 七 年 ∼ 八 年 に 国 の補 助 事 業 と し
。
て施 工 さ れ た 旧 来 型 の護 岸 は コ
、
ンク リ ー ト 造 り が 主 体 だ が 国 と
、
の協 議 を 行 う 中 で 能 古 島 は 自 然
、
の多 い美 し い所 自 然 石 の使 用 が
、
適 当 で あ ろ う と いう こ と に な り
、
ま た 昨 今 のウ ォ ー タ ー フ ロ ント
、
整 備 の波 にも 乗 り お 蔭 で 現 在 の
。
情 景 と な った のであ る
、
と こ ろ で 業 者 の持 参 し た サ ン
そ の海 岸 に 通 じ る 道 と し て は 余 り
。
にも 立 派 であ る
夕 日 の 名 所 と は 聞 いた が
敷 石 で舗 装 さ れ
。
いる
さ ざ 波 の模 様 を 刻 ん だ
、
保 護 柵 も 付 いて
、
さざ 波 の化 石﹂
﹁
辺公 園付近
磯
さざ波の化石
平成 13年 11月 15日
り
よ
だ
館
物
博
古
能
(1)第 40号
の 手 筋 の良 さ に 些 か 瞳 目 し た 父
、
が そ れ な ら と 目 を 掛 け て や った
。
よ う な も の であ った
友 は 学 塾 の講 義 授 業 の末 席 に小
、
机 を 持 ち 込 み 見 よ う 見 ま ね で筆
。
を 揮 る って いた 友 の躾 け 教 育 の
。
、
主 体 は 母 のイ チ の役 割 であ った
、
母 の手 伝 い 弟 妹 と の遊 び が 中 心
。
とな る
友 の次 妹 の敬 は 全 く 手 習 い に 関
、
心 を も た な か った の で ほ った ら
、
、
か し の状 態 と な り 悪 筆 ぶ り に は
、
、
姪 浜 の五 島 屋 を 継 いだ 後 も 終 生
姉 の友 か ら 苦 情 を 言 わ れ 続 け た と
。
年 譜 によ れ ば 友 十 一歳
、
父 は友
と 問 人 の神 村 玄 篠 を 従 え 須 恵 村 に
。
遊行
、
途 中 の茶 屋 にか いて分 韻 詩
。
作 を行 う
翌 十 二歳 時
日 田 の広 瀬 淡 窓 が
。
前 回 の南 冥
亀 井 師 家 を 訪 問 した
川 田 啓 治③
足 達 輔 治⑤
中村 ひろえ③
古 賀 謹 二⑦
野 尻 敬 子③
大 野 幸 治⑤
櫛 田 正 己③
青木良之助◎
神崎憲五郎②
金 子 柳 水③
佐 野 至⑥
井 手 親 栄①
宮 崎 春 夫①
鬼丸 珀
石出 ②
山崎 エツ子④
小 山 元治③
吉瀬 b
示雄 ①
古 賀 義 鋼①
西 山 正 昭⑦
市丸喜 一郎②
希穂 ②
豊島 一
庄 野 陽 一②
守 瀬 孝 二①
鋤 田 祥 子⑤
甲本 達 也 ①
日本 政 宏⑥
鳥井裕美子②
濃 北 折口郎 ①
大 塚 博久②
小 山 宮﹃夫 ③
辻本 雅史⑤
月②
松田 こ
杉 浦 五郎②
中野 口
囲子②
大 谷 英 彦④
野崎 逸 郎 ⑥
民③
住本 市
山根ちず 子①
村 山 士口康 ③
住 本 直 之③
大 島 節 子④
間所 ひさ子⑥
伊藤 英邦①
鹿 毛 光 子①
古 賀 朝 生①
林 正 幸②
田策 ②
井上 高
田中 寛 治 ②
土屋伊確雄①
白 井 京 子②
原 礼 子①
小堀百合子①
原 康 三①
原 牧 子①
杉 みどり②
原 祐 一①
山下 ま
月久 ②
杉 原 正毅 ④
升②
大久保 白
党 隆 雄④
日弘 ②
福澤 口
小 嶋 幸 雄③
福 本 孝 行④
樋 口 陽 一②
片桐 道
雪一
②
木 下 勤③
酒井カツヨ③
島 義 博③
田上 紀 子③
中 畑 孝 信⑥
西 島 道 子⑤
西嶋 洋 子③
村上 靖朝③
獄村 魁③
木 原 光 男④
庄 野健 次⑦
鈴木恵津子◎
田中加 代④
冨永紗智 子①
吉 村 陽 子②
松本雄 一郎②
石橋 善 弘④
徳 重 認①
岩 淵 謙 治⑦
岸 本 雄 三③
武 田 正勝 ②
武田初代 子②
近 藤 雄 文③
西 嶋 克 司④
樺 島 政 信③
、
※新規 の御加入 ͡
先号以後 平成十二年十
、
一月十五日現在︶を 記載 いたしており
。
、
ますので 何卒ご芳名を ご確認ください
。
あ り がとう ござ いま した
自然 と文 化 の小 天地 創造
財団法 人 能古 博物館
、
右 の会 費 受 領 は そ の都 度 本 誌 に掲
。
、
載 以後 会費相当期 間を名 簿 にします
何 日でも可︶
個人︶
年間1万円 ͡
協賛会 ︵
〃
3
間
人
︶
年
万円 ͡
何 日でも可︶
︵
法
友 の会 年 間 3千 円 ︵
何 日 でも 可︶
、
︵
館の活動 館誌購読と催事企画に参加︶
施 設整備 等 の
︺
︹ 軸鍋 齢嶋捕釧理事
︱
9︲
60970
納入方法︱郵便振常 ①l730︲
裾残
客海
丸 橋 秀 雄⑤
月②
井上 注
上 杉 和 稔①
木 村 秀 明⑤
富 田 英寿⑥
野上 哲 子①
益 尾 天獄 ⑥
小 山 正文 ①
平山 孝 博①
石橋 正 治①
亀 石 正 之①
荻 野 忠 行②
藤 田 一枝 ②
月美 ②
松尾 こ
蓮 尾 正博 ②
森 祐行②
吉 安 蓉 子①
村 上 牧②
小 谷 修 一②
日弘 ①
阿部 曰
結 城 進①
永 石 順洋③
重松 史郎①
藤吉 マツヱ①
亀井 勝夫①
岸 川 龍①
山 本 光 玄②
吉 開 史 朗①
田中 靖 高①
三①
香立 る ヽ
藤瀬 三枝 子①
野見山 実①
頃末 隆英①
友 原 静 生①
森 口 智 子①
山 本 信 行①
山 見商会②
銀座玄和堂診療所︵
︺
尾澤 健①
井 上 陽 一①
5221″
│ │〒
19 oo12
1福
南
西
区
能
も
市
古
││■ ‐
:;│‐
88::鑑
品棺
│‐
ul
結3鮒
鮎評甲
,琳;学
1撤
を
印刷 大成印刷株式会社
■能古 (徒歩5分)■博物館
│‐
いう
の六 十 年 の寿 宴 出 席 以来 だ から 六
。
年 ぶ り であ る こ の時 友 は淡 窓 に
。
詩 を 贈 った こ の詩 は残 って いな
、
いが 淡 窓 の唱 和 の詩 は そ の ﹃
懐
。
旧 楼 筆 記 ﹄に残 って いる
、
十 五歳 父 は百 道 のわ が家 を 増
、
築 し て友 の居 室 と し て与 え
。
﹁
妨 究 邸 ﹂と 名 付 け て や った 筋 死
、
と は女 のしと や か さ 奥 ゆ か しき
、
。
さま ﹃
窃 究 の淑 女 君
詩 経 ﹄に ﹁
、
子 の好 迷 ﹂と あ り 昭 陽 の娘 への
。
期 待 の命 名 であ る
、
十 八 歳 友 は自 作 の これ ま で の
銹 宛 稿 乙亥 ﹂の 一冊 に
詩を選 ん で ﹁
ま と め た 。 収 録 は 九 十 四首 にも の
。
ぼる
、
友 の詩 画 の才 能 は絢 爛 と開花 し
。
十九歳 で結婚 を迎え る のであ る
、
所 で 肝 心 の亀 井 家 学 の後 継 者
、
と な る べき 男 子 は 長 男 義 一郎
、
暢
︵
蓬 洲 ︶は 十 一歳 次 男 鉄 次 郎 ︵
。
続 く︶
洲 ︶八歳 であ った ︵
・
本館料1大本490円 中再生290甲│
‐
栞1導 牽採1韓1行渡船努■ウ■り│(中々)
休篤 自112月 1日 ∼ 2月末日の冬季のみ体館
◆﹃
孝 経 当 論 語 堵 詩 経 ﹄そ し て詩 作
四 歳 か ら 父 の手 ほ ど き で始 め た
、
習 字 は 一つ 一つ の字 の訓 み も 進
、
み
つ いで ﹃
孝 経 毛 論 語 L 詩 経 ﹄を
。 し
そ
拾 歳 頃 迄 に習 得 し て い った
て 父 昭 陽 の著 述 の筆 写 助 手 を も 手
。
伝 う よ う にな った
、
余 技 と し て始 め た ﹁
詩 書 画 ﹂も
、
特 定 の師 匠 が 有 る わ け では な く
。 、
これ ま た 自 習 自 得 であ った が い
つし か 世 人 の注 目 が あ つま る よ う
。
。
にな る し か し これ は 少 し 後 の事
,骨旨
古博物館 ご案内 ・
19:"∼
17:09(入
館11i30ま
開1館
で)
り
よ
だ
館
物
博
古
能
(5)第 340'手
南冥
、
昭陽
、
昭陽
。
た れ 華 麗 であ った
、
筑 前 でも と 思 い立 った のは 秋 月
な が のぶ
。
藩 の八 代 藩 主 黒 田長 舒 であ る 秋
、
月 藩 校 の教 授 であ る原 古 処 と 藩
。
内亀 門六名
主 侍 読 と し て毎 月 出 謡 し ていた 福
に企 画 と 実
岡 の
昭陽 の
藩
亀
井
二
人
。
行 を 命 じた ここに ﹁
西 都 雅 集 ﹂と
、
銘 打 ち 太 宰 府 天満 宮 を 会 場 と し
。
て開催 され た 時 これ文化 三年 曇
。
八〇六と二月 であ る
◆ 出 展者 は 百 一名
秋 月 藩 主 と そ の 二公 子 を 筆 頭 に
福 岡 秋 月 両 藩 の学 問 文 事 を た しな
、
。
学 者 そ れ に在 野文 人 筑
む武士
幸 運 な る出 発
︱︱ 西都 雅 集 展 観
、
昭 陽 の外
者 の ご縁 故 の方 の名 も あ る と 思 わ
。
亀 井 一門 か ら は 南 冥
れる
当時崇福寺住職
南 冥 の実 弟 曇 栄 ︵
を 退 職 後 塔 頭 に て 隠 居 ︶昭 陽 の 二
、
、
弟 大 壮 官百は 雲 来 名 は 昇 太 宰
、
府 に て医 業 ︶大 年 奮巧は 天 地 房 名
、
。
は 満 姪 浜 に て 医 業 ︶の 五 人 所
、
南冥が 亘 弟三
謂﹁
五 亀 ﹂で あ り
子 皆 墨 妙 ﹂と 自 賛 し て いた 者 の 勢
。
揃 え であ る
宏夕ち
みそ
一
疹T 毛 こ
これ に九 歳 の友
要約 ︶
ヤt
先 マ狩
や、
″私 ヽ
、
闇秀亀井 少 乗 伝﹂
以上圧 野寿 人著 ﹁
︵
少 乗 が加 わ って いる のであ る
す なわ ち 後 の
。
習字 (少乗 九 才)
と 続 いた 亀 井 家
。
世 間 では南 冥
学 は 次 代 の暢 洲 に受 け 継 が れ る
、
、
し かし
の次 は 少 乗 と 思 って い る 人 は 案
。
外多 い
少 乗 は 亀 井 家 学 の輝 や け る 代
、
表 選 手 で こそ あ れ ﹁
支 え た ﹂女 達
、
、
前 にか け る詩 文 教 養 層 の厚 さ が し
、
当 時 の文 芸 流 行 が地 方 に
京 都 や江 戸 では書 画 会 と
のば れ
及 ん で いた こと を 証 す るも の であ
。
ク
つ
守琢
と いう 内 助 的 な 位 置 づ け る こ と
。
を いぶ か し く 思 わ れ る であ ろ う
、
だ が やはり少 乗 は亀井家 学
。
を 支 え た 女 であ る と 考 え る 以
。
下 そ の こと を 明 ら か に し た い
◆九歳
当時
い って書 や画 を 表 装 等 にし て これ
、
を 一堂 に並 べ 出 展 者 も 同 時 に集
。
い交 歓 す る 催 し が 行 わ れ て いた
こ の時 の出 展 目 録 刷 は
、
高 級 料 亭 等 を 会 場 と し て出 展 者 や
能 古 博 物 館 に収 蔵 さ れ てお る
原本 が
。
読
参 観 者 の宴 席 が会 期 中 に何 回 かも
玄
キ
り
よ
だ
館
物
博
古
能
40号
(3)第
友 の出 展 作 は ﹃
行 書 一行 ﹄と 出 展
、
目 録 刷 にあ る が そ の実 物 は 見 つ
。
か って いな い
、
◆ 友 少 茉 は何 故 選ば れ た か
﹁
西 都 雅 集 ﹂の参 加 人 員 は 百 名 と
。
予 定 され て いた と 考 え ら れ る そ
。
友 の出 展 は
れ が百 一名 にな った
見 合 わ す べき と の意 見 は出 た であ
、
。
何 故 な ら 百 の出 展 者 の内
ろう
五亀 でも 既 にそ の割 合 は 五 分 す な
。
わ ち 五 パー セ ント いく ら 友 の書
、
が 天才 的 で優 れ て いる にせ よ 封
、
九 歳 の娘 の出 展 は幹 事 役
。
の昭 陽 の我 儘 と 見 ら れ か ね な い
建 の世
そ れ を 行 い得 た のは諸 種 の事 情 は
、
あ る にし ろ
秋 月 藩 主 の裁 可 あ れ
。
並 々な ら ぬ好 意 を
ば こそ であ る
。
感 じる
◆ 秋 月藩 主 の好 意
、
こ の文 化 三 年 亀 井 一門 の置 か
れ た 境 遇 は恵 ま れ た も の では な か
った 。南 冥 が罷免 ・
終身 禁 足 の処分
。
を 受 け てから 十 四年 二度 の火 災
、
。
後 百 道 に居 を 構 え て五 年 昭 陽
は藩 の儒 業 職 を 免 ぜ ら れ 城 代 組 平
、
士 に編 入 城 の見 廻 り と いう 下 級
、
武 士 の馴 れ ぬ仕 事を こな しな がら
、
父 南 冥 の古 文 辞 学 の深 化 学 塾 の
を っ いた 。し かも禄
経営 に
骨
削
て
身
は百 五 十 石 から 拾 ■
! ! ! ︱︱■
五 人 扶 持 と 約 四分
黒 田 藩 の扱 い
の 一と 減 少 し て い
。
た
は 酷 薄 で あ った と
。
いえ る
幸 い に支 藩 の秋
月 藩 主 の好 意 によ
って 、 そ の侍 謡 は
続 け さ せ て頂 い て
。
そ の昭 陽 に
いた
﹁
西 都 雅 集 ﹂の企 画
実行 が命 ぜられ
。
さ ら に こ の催
た
し の後 の こと にな
、
父南冥の
るが
﹁
論 語 語 由 ﹂の開 板
、
後 援 で江 戸 に
も
お い て行 わ れ る こ
、
藩主 の
と にな り
ii;ifili■
■;市■■114■
立た
1
参 勤 に随 行 し て江 十一
! !i!
!
︱■
!
! !
!
戸 にお も む く こと 一
。
にな る 正 に ﹁
足 を 向 け ては 寝 ら
。
れ ぬ﹂気 持 ち であ った ろう
◆友
、
秋 月候 に従 い秋 月 ヘ
そ の後 の人 生 に似 て
。
いる 友 は 自 信 を も
って伸 び伸 びと 詩 書
期 に著 名 な コンク ー
、
ル に入 選 し た 人 の
にと って実 に貴 重 で
。
あ った そ れ は 幼 年
期 の経 験 は友 の 一生
友 の人 生 の出 発
、
は こ のよ う に率 麗
。
であ った 友 の少 女
緬帯 を 拝領 す る
昭 陽 は羽 織 を 友 は縮
。
れ
て従 う よ う に命 ぜ ら
、
、
秋 月 に勝 い て
主 の帰 館 に友 も つれ
ーー縮 価 帯 を 賜 る
、
﹁
西都 雅 集 ﹂の終 会 後 昭 陽 は藩
大荘 (南冥ェ男
れ は友 が 一人 勝 手 に始 め た 手 習 い
と し て期 待 さ れ て い
。
た わ け ではな か った 昭 陽 から 四
、
歳 よ り 習 字 を 教 わ った も の の こ
友 は 女 子 であ る か
ら 亀 井 家 学 の後 継 者
◆ 自己修練による会得
に励 む こと にな る。
西都雅集 展観 書 画題名 (一部 )
大年(南真=男 )
少栞
平成 13年 11月 15日 (4)
り
よ
だ
館
物
博
古
能
法人協賛会員︼
︻
に原土井病院
ヮタキ ューセイモア佃
伽福岡メディカルリース
側 アールアンド エム
硼クリニカルデータサービス
福岡桜坂郵便局 鬼鞍信孝
福岡能古郵便局 西方俊司
福岡赤坂郵便局 戸田正義
国清医療食品m 福岡支店
御福岡経営管理センター
御サンコー
に恵光会原病院
船西日本銀行 和白支店
働西日本銀行 千代町支店
船西日本銀行 香椎支店
御西日本銀行 土井支店
働西日本銀行福岡流通センター支店
働西日本銀行 新宮支店
m西日本銀行 箱崎支店
側西日本銀行 久山支店
伺サンネ ツト
硼福砂屋
働昭和鉄工
商業 コンサルタント
井本医科器機御
硼九電工 福岡東営業所
0高電社
働タカミエ業
御福東電設
御電通技研
出 口塗装
口笠松会有吉病院
日本 スラツト御
0川島工務店
佛第 一特殊金属
︵
敬 称 略 順 不 同︶
働ミドリ生コン
0サンワ
梶原塗装硼
文化シヤツターい九州特販
エスティエ業
タイヨウ設計
働奥村組
働三洋建設
東邦企画
協同設備
御センタービジネ ス
伺ウ エダ建築社
九州防災工業働
伺西部エレベーターサービス
働豊友設備
総合産業0
鋪 ニツコク トラスト
御メイデン
働ゼ 回ックス
ダイアド船
御ホ スピカ
御 ニチイ学館
ギ ヤラリー倉
ンヨン病院
に福岡リハビリテーヽ
口江頭会さくら病院
船 ニチ回九州支社
宗教法人善隣教
硼リコー商会
硼橋本組
下山工業佛
学校法人原学園
伺内川工業
働唐人町プ ラザ甘某館
大和産業船福岡支店
社会福祉法人福岡ひまわりの里
御寄付者芳名
ありがどつ
稲澤智多夫様 ﹁
し
上回 博様 ござぃま た﹂
協 賛 △蚕 蚕員 ︼
︻
松 本 盛 三③
南 誠次郎①
中山 重夫②
菅 直 登③
早船 正夫①
浄 満 寺 ①
奥村 宏直②
笠 井 徳 三②
荒 木 晴 邦⑥
安 陪 光 正⑤
亀井 准輔①
熊 谷 雅 子⑥
石 橋 観 一①
木 原 敬吉③
坂 田 貞治⑤
庄 野 直 彦④
原 田 団 雄②
森 光 英 子③
永井 功②
緒 方 益 男⑦
浦 上 健②
山 本 稔③
田中 貞 輝③
武 内 隆 恭②
白 水 義 情②
石野智恵子①
翠 川 文 子⑥
多 々羅節子①
熊谷 吉
塞 二②
有江 勉①
山 崎 拓①
上 国 満③
七 熊 太 郎⑦
西喜 代 松⑥
梅 日 光 治⑤
片 桐 寛 子②
具 島 菊 乃⑤
瀧 栄 三郎③
西村 俊 隆⑥
開 石 散 人②
矢 部 俊 幸①
上 原 孝 正①
吉 冨とき代⑤
浜野信 一郎⑤
大 山 宇 一⑥
葉 山 政 志◎
川 島 貞 雄②
︺
序 洋 子◎
柳山美多恵②
久 方 正隆⑥
半 田 耕 典⑥
武 藤 瑞 こ④
荘 出 雅 敏⑥
吉 田 洋 一⑤
永岡喜代太②
神 戸 純 子④
渡 辺美津子⑤
山 田 博 子②
佐 藤 泰 弘⑥
前 田 静 子④
飯 国 晃⑤
神 戸 聡③
日 里 朝 男③
吉 口 一郎 ①
池 田 修 三⑥
岩 谷 正 子③
小 川 正 幸②
権 藤 菊 朗②
井手俊 一郎②
増 田 義 哉④
宮嶋熊太郎⑤
土井 千草①
松 坂 洋 昌③
稲 永 実①
鹿 毛 博 通④
古 川 映 子③
松 井 俊 規④
衛 藤 博 史④
伊 藤 泰 輔③
田代 直 輝 ①
西村 蓬 頭③
執 行 敏 彦④
渡辺千代子②
後 藤 和 子②
脇山涌 一郎①
川浪由紀子⑩
︻
友の会会員︼
立 石 武泰①
伊 藤 茂①
玉 置 貞 正○
水 田 和 夫④
木 戸 龍 一①
岡部六弥太①
星野 万里子③
吉 村 雪江◎
安 松 勇 一①
上 国 良 一②
高田 と
空一
③
桑 野 次 男⑥
藤 木 充 子①
和 国 宏 子①
板木 継生②
行 成 静 子①
片 岡 洋 一①
石川 文之③
橋本 敏夫②
山内重太郎⑥
都 筑 久 馬②
斎藤 拓◎
横 山 智 一③
古賀 違
帰子⑩
宮 崎 集②
西 政憲◎
岡本 金 蔵②
三宅 詢
石子①
星 野 金 子②
林 十九楼◎
宮 徹 男②
安 永 友 儀⑥
織日喜代治⑥
上 国 博①
鶴 園スミ子②
塚本美和子⑥
伊 藤 康 彦⑤
寺 岡 秀 貫④
原 田 種 美⑤
奥 田 稔②
石橋 注
月助 ◎
井 上 敏 枝⑤
吉 原 湖 水①
隈丸 進
月次 ⑦
の 手 筋 の良 さ に 些 か 瞳 目 し た 父
、
が そ れ な ら と 目 を 掛 け て や った
。
よ う な も の であ った
友 は 学 塾 の講 義 授 業 の末 席 に小
、
机 を 持 ち 込 み 見 よ う 見 ま ね で筆
。
を 揮 る って いた 友 の躾 け 教 育 の
、
。
主 体 は 母 のイ チ の役 割 であ った
、
母 の手 伝 い 弟 妹 と の遊 び が 中 心
と な る。
友 の次 妹 の敬 は 全 く 手 習 い に 関
、
心 を も た な か った の で ほ った ら
、
、
か し の状 態 と な り 悪 筆 ぶ り に は
、
、
姪 浜 の五 島 屋 を 継 いだ 後 も 終 生
姉 の友 か ら 苦 情 を 言 わ れ 続 け た と
。
いう
年 譜 によ れ ば 友 十 一歳
、
父は友
と 問 人 の神 村 玄 篠 を 従 え 須 恵 村 に
。
遊行
、
途 中 の茶 屋 にか い て分 韻 詩
。
作を行う
翌 十 二歳 時
日 日 の広 瀬 淡 窓 が
。
前 回 の南 冥
亀 井 師 家 を 訪 問 した
の六 十 年 の寿 宴 出 席 以 来 だ か ら 六
。
こ の時 友 は 淡 窓 に
年 ぶ り であ る
。
詩 を 贈 った こ の詩 は 残 って いな
、
いが 淡 窓 の唱 和 の詩 は そ の ﹃
懐
。
旧 楼 筆 記 ﹄に残 って いる
、
十 五 歳 父 は 百 道 のわ が 家 を 増
、
築 し て友 の居 室 と し て与 え
。
﹁
妨 死 邸 ﹂と 名 付 け て や った 筋 究
、
と は 女 のし と や か さ 奥 ゆ か し き
、
。
さま ﹃
妨 究 の淑 女 君
詩 経 ﹄に ﹁
、
子 の 好 速 ﹂と あ り 昭 陽 の娘 へ の
。
期 待 の命 名 であ る
、
友 は 自 作 の これ ま で の
十八歳
窃 究 稿 乙 亥 ﹂の 一冊 に
詩を選ん で ﹁
。
ま と め た 収 録 は 九 十 四 首 にも の
。
ぼる
、
友 の詩 画 の才 能 は絢 爛 と 開 花 し
。
十 九 歳 で結 婚 を 迎 え る の であ る
、
所 で 肝 心 の亀 井 家 学 の後 継 者
、
と な る べ き 男 子 は 長 男 義 一郎
、
暢
次 男鉄次郎 ︵
︵
蓬 洲 ︶は 十 一歳
。
洲 ︶八 歳 であ った ︵
続く︶
川 田 啓 治③
足 達 輔 治③
中村 ひろえ③
古 賀 謹 二②
野 尻 敬 子③
大 野 幸 治⑤
櫛 田 正 己③
青木良之助◎
神崎憲 五郎②
金 子 柳 水⑤
佐 野 至③
井 手 親 栄⑩
宮崎 春夫①
鬼丸 珀
石山 ②
山崎 エツ子④
小 山 元治③
吉瀬 も
不雄 ①
古 賀 義 朗①
西 山 正 昭②
市丸喜 一郎②
豊 島 嘉 穂②
庄 野 陽 一②
守 瀬 孝 二①
鋤 田 祥 子⑤
甲本 達 也 ①
日本 政宏 ⑥
鳥井裕美子②
渡 北 折申郎 ①
大 塚 博 久②
昌夫 ◎
小山 一
辻 本 雅 史⑤
松田 こ
月②
杉 浦 五郎②
中野 口
印子②
大 谷 英 彦④
野 崎 逸 郎⑥
霞③
住本 再
山根ちず 子①
村 出 士口廣 ③
住 本 直 之③
大 島 節 子④
闇所 ひさ子○
伊 藤 英 邦①
鹿 毛 光 子①
古 賀 朝 生①
林 正孝 ②
臼策 ②
井上 静
日中 寛 治 ②
土屋伊磋雄①
白 井 京 子⑦
原 礼 子①
小堀百合子①
原 康 二①
原 牧 子①
杉 みどり②
原 祐 一①
山下 注
月久 ②
杉 原 正 毅④
大久保 昇②
党 隆 雄④
日弘 ②
福澤 口
小 嶋 幸 雄③
福 本 孝 行④
樋 口 陽 一②
片桐 道
宣一
⑦
木 下 勤③
酒井 カツヨ③
島 義 博③
田上 紀 子⑥
中 畑 孝 信③
西 島 道 子⑤
西 嶋 洋 子③
村 上 靖 朝③
痛村 魁③
木 原 光 男④
庄 野健 次⑦
鈴木恵津子⑥
田中加 代④
目永紗智子①
吉 村 陽 子②
松本雄 一郎⑦
石橋 善 弘 ④
徳 重 認①
岩 淵 謙治②
岸 本 雄 二③
武 田 正勝 ②
武田初代 子②
近藤 雄文③
西 嶋 克 司④
樺 島 政 信③
、
※新規 の御加入 ︵
先号以後 平成十二年十
、
を 記載 いたしており
一月十五日現在︶
、
ますので 何卒 ご芳名をご確認ください。
。
あ り がとう ござ いま した
自然 と文化 の小 天地創造
財 団法人 能古博物 館
、
右 の会 費 受 領 は そ の都 度 本 誌 に掲
、
。
載 以後会費相当期 間を名 簿 にします
何 日でも可︶
協 賛会 ︵
個人︶
年間1万円 ︵
〃 ︵
何 日でも可︶
法人︶
年間3万円 ︵
友 の会 年 間 3千 円 ︵
何 日 でも可 ︶
、
館の活動 館誌購読と催事企画に参加︶
͡
施 設整備 等 の
︺
︹ 軸鍋 麟嶋補釧理森
︱
9︲
60970
納入方法︱郵使振替 01730︲
裾残
客海
丸 橋 秀 雄⑤
月⑦
井上 こ
上 杉 和 稔①
木 村 秀 明⑤
富 圏 英 寿⑥
野 上 折申子①
益 尾 天獄⑥
小 山 正 文①
平山 孝 博①
石橋 正 治①
亀 石 正 之①
荻 邸 忠 行②
藤 日 一枝 ②
松尾 進
帰美 ②
蓮 尾 正博 ②
森 祐 行②
吉 安 容 子①
村 上 牧②
小 谷 修 一②
日弘 ①
阿部 ヨ
結 城 進①
永 石 順 洋③
重松 史郎①
藤吉 マツヱ①
亀井 勝夫①
岸川 龍①
山 本 光 玄②
吉 開 史 朗①
田中 晴 高①
ヽ
ヱ①
香立 る ヽ
藤瀬 三枝子①
野見山 実①
頃末 隆英①
友 原 静 生①
森 口 智 子①
山 本 信 行①
山 見商 会②
銀座玄和堂診療所︵
∪
尾澤 健①
井 上 陽 一①
怖
幡
側
比用 胤よ
緒鮒蟹
七
∬ TI
印刷 大成印刷株式会社
開 館 9:30∼ 17100(入 館16i30ま で)
休館 日 12月 1甲 Ⅲ Ⅲ
丹末 日の冬季のみ体毎
入館料 大 人400円 ■中高生200円
‐
交 通 姪 浜 能 古行渡船場→フェリー (10分)
→能古 (徒歩 5分 )→ 博物館
〒81的 012 福 岡市西区能古522-2
a (092)883-2887
S厳 (092)883-2881
◆﹃
孝 経 当 論 語 路 詩 経 ﹄そ し て詩 作
孝 経 ス 論 語 L 詩 経 ﹄を
つい で ﹃
。 し
そ
四 歳 か ら 父 の手 ほ ど き で始 め た
、
習 字 は 一つ 一つ の字 の訓 み も 進
、
み
拾 歳 頃 迄 に習 得 し て い った
て父 昭 陽 の著 述 の筆 写 助 手 を も 手
。
伝 う よ う にな った
、
余 技 と し て 始 め た 塁討書 画 ﹂も
、
特 定 の師 匠 が 有 る わ け では な く
。 、
これ ま た 自 習 自 得 であ った が い
つし か 世 人 の 注 目 が あ つま る よ う
。
。
にな る し か し これ は 少 し 後 の事
・能古博物館 ご案内 ・
り
よ
だ
館
物
博
古
能
(5)雰 540」 手
「
真夏の頃」 高鷹 春一氏
祇列プ・
ぽ
託
グ
一 万円 小
島 博 様 福 岡市西区下山門
一 万円 斎
田 英 工 様 福 岡市早良区西新
入
選
一 万円 中
国 長 之 様 福 岡市西区姪浜
入
選
一 万円 永
露 憲 治 様 福 岡「
131e2酎 隈
入
選
一 万円 中
村 信 栄 様 前 原市篠原
入
選
一 万 円 藤 吉マツヱ 様 福 岡市中央図 Jヽ
笹
入
選
一 万円 山
ン
ヽ
鷹 春 ― 様 福 岡市早良図 」
田部
準グランプリ真 三 万 円 野
村 武 様 福 岡「
13m区石丸
特 別
瀬 尚 子 様 福 岡「
13m区泉
二 万円 柳
本 光 玄 様 福 岡市中央区大手P目
選
選
関 敏 巳氏
入
入
「
防人の島の人々
あとは引き受けた」
グランプリ賞 五 万 円 高
賞
' レ入 賞 吉
ー
古 の 風 フ ォ トコ ン ク
能
第 4回
能 古 島 賞
一 万円 関
敏 巳 様 福 岡「
13m区能古
(6)
平 成 13年 11月 15日
り
よ
だ
館
物
博
古
能
第 4回 能古の風フ ォ トコ ンク ーJレ
入 賞 者 発 表
▼第 4回能古 の風 フオト コン
も
クー ル ︵
応募作品 一〇二点︶
。
無事終 了致 しました 皆様 の
おかげ で毎年 この コンクー ル
を続 ける こと が出来 ておりま
。
。
す 本当 に有難う ござ います
気 の早 い話 です が 来 年 も
、
又 御応募 の程お願 い申 し上
。
げます
、
▼当 館 は 冬 期 休 館 ︵
十 二月
。
一日 ∼ 二 月 末 ︶に入 り ま す
開館中 各 一
月 一日∼十 一月末︶
、
は休館 日が無 い為 この時期
、
、
に資料 の整理 情報収集 調
、
、
、
査 工作 ビ デ オ 撮 影 建
、
物 ・庭 の手入れ清掃等 々 数
少な い職員とボ ラ ンテイアの
、
人達 ち ょ っと立寄 った島 の
、
、
人 も た ま たま 訪 れ た 人も
あ ら ゆ る仕 事 人 に変 身 し ま
。
す 寒 い日 の外作業 は風が吹
きすさび冷たく、暖 かく晴れ
。
た日 の作業 はうれし い⋮ で
もあまり天気 が良 いと休館 が
も った いなく⋮かなし い。
皆様 には い つも館 の運営 に
御協力 いただき有難う ござ い
、
ます。来年も 又 御支援 いた
だけます様お願 い申 し上げま
。
す