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知の知の知の知 - 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会

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い~な
あまみ
中 央
さくら
しらさぎ
大阪+知的障害+地域+おもろい=創造
知の知の知の知
社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所情報誌通算 1119 号 2013.1.7 発行
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元日から中日新聞に6回連載の<オトコ全力!>をまとめてお届けします。
【kobi】
<オトコ全力!>(1)育児にぶつかれ
保健師 唐川祐一さん(27)
中日新聞 2013 年 1 月 1 日
元気印の女子たちがスポットを浴び続ける一方で、影が薄いと思われがちな平成のオト
コたち。だが、世の中を見渡せば、果敢に女性ばかりの世界へ飛び込み、活路を開こうと
する男子たちがいる。大地にしっかりと足を着け、農業再生に取り組む若者たちもいる。
夢に向かって全力疾走する男性たちを紹介していく。
「オチンチンの皮をちょっとむいて、先を優しく洗ってあげるだけでいいですよ」
。岩手
県陸前高田市内で開かれたベビーサロン。名古屋市から長期派遣されている保健師の唐川
祐一さんは、東日本大震災で被災した人たちと笑顔で向き合っていた。
震災の爪痕が生々しく残る地で、赤ちゃんは復興への大きな希望。健やかな成長を支え
る母親の声にじっくりと耳を傾ける。
「お風呂で男の子のあそこは、どう洗ったらいいの?」
「そろそろ、離乳食に変えた方がいいですか」
育児のいろいろな不安はあるが、まずは自信を持ってもらえるよう、唐川さんは優しく
アドバイスする。震災後の今はいつもより心の負担が重い分、頑張り過ぎは禁物。だから
「指導する」という雰囲気にならないようにしている。心掛けているのは「傾聴」と「共
感」だ。
「命と関わる仕事に就きたい」と岐阜大看護学科に進学。周囲は女性ばかりで、同学年
八十人のうち男は五人だけ。多勢に無勢の状況は人の行動を変える。
「互いに主張し合うと
勝ち目がなくて。それで負けない戦をするため、相手の話をよく聴き、潤滑油の役割をし
ようとしました」
その考えは進路にも影響した。唐川さんは病と闘う医療現場より、病気を予防する方に
目を向けた。
「健康はもともとあるものではなく、自分でつくっていくもの」。それを多く
の人に実践してもらうために仕事をする保健師が、自分には合っていると思った。
五年前、実際になってみると「名古屋市の男性保健師第二号」
。あらためて男が少ない業
界と実感した。市内に保健師は三百人近くいるが「女性が当たり前」という市民側のイメ
ージは根強い。一年目には担当地区の住民から、
「何でうちの学区の保健師が男なんだ」と
保健所にクレームが寄せられた。この時は健康教室などで地区の人々と接しながら、
「相手
の話をよく聴く」姿勢で信頼を少しずつ築いた。学生時代に同級の女性たちとやり合った
経験が生きた。
逆に、授乳指導などで何の抵抗もなくおっぱいを見せる外国人の母親に面食らったこと
も。
「男ですけど、授乳期の胸のはり、乳首の状態とかの相談も一応受けます。相手次第で
すが…」
母親と接するうち、あえて男の目線で意見することもある。「夫が育児に協力的でない」
と不満を漏らす母親に対し、苦労に共感しつつ「ご主人がお金を稼ぐのも、育児ですから」
などと一言添えてみる。大切なのは夫婦同士の歩み寄り。その「潤滑油になろう」と気を
配る。
陸前高田市には、最初、上司の指示で来た。二〇一一年に計三カ月間、避難所や仮設住
宅を回り、体調を崩した被災者らの対応に追われた。同市では、震災前に九人いた保健師
のうち、六人が死亡、または行方不明に。市民の健康管理や心のケアに携わる人材が不足
し、支えられる側だけでなく支える側も被災者だ。人々が支え合うコミュニティーの再生
が大きな課題となっている。
唐川さんは「自分が地域に受け入れられないと、本当に意味のある活動ができない」と
考え、一二年四月から今年三月までの一年間の支援を志願した。
「また来てくれてありがと
う」と、お年寄りから声を掛けられたことが励みになった。
「健康を守る生活習慣を根付か
せたい」
。いつも優しいまなざしで、地域を看護(みまも)っている。
<オトコ全力!>(2)チアの扉を開く
早稲田大「ショッカーズ」
中日新聞 2013 年 1 月 3 日
華麗な技で観客を魅了するショッカーズのメン
バーたち=東京都文京区で
五体が宙に打ち上がる。見る間に人の
塔が組み上がる。ポーズが決まるたびに
とどろく歓声。東京都内で行われた学生
イベントで、早稲田大チアリーディング
チーム「ショッカーズ」が、今夜も観客
を盛り上げていた。
スポーツの試合などで応援をリードす
るチア。競技の合間に、アクロバティッ
クな演技で花を添えることも多い。女性の世界であるチアで、ショッカーズは日本唯一の
男子大学生によるチームだ。
チーム結成は二〇〇四年。体操経験者ら三人が始めたという。現メンバーは、昨年十一
月で引退した三年生を除き二十八人だ。
日々の鍛錬はハードだ。練習は週四回、三時間ずつ。宙返りなどの個人技は別に自主練
が課せられる。休日の多くは試合やイベントでの演技に充てられる。代表で二年生の橋本
将志さん(20)は「練習の欠席は原則認めません。けがのもとですし、一人でも欠けた
ら組めない演技ばかりですから」と話す。
一年生の大沢雅仁さん(18)は、高校では野球部に所属。大学では何かほかのことを
したかったが、やるからには真剣なものをと考えていた。そんな時、新入生歓迎イベント
でショッカーズの演技を見た。華やかな技の数々。興味を持って練習を訪ねると、メンバ
ーは倒立を繰り返して体づくりに汗を流していた。
「輝いて見えた気持ちのまま見に行った
ら、華やかな演技の陰に厳しい訓練があることを知った。これだと引き寄せられた」と言
う。
最初、家族や友人は「ポンポン持ってスカートでもはくのか」と変な目で見ていたが、
演技を見たら「すごいことやってるね」と見方を変えた。「練習中心の生活で就職活動も遅
れます。でも、自分には熱中できることがあるので」と大沢さんは話す。
チアの演技では練習を積んでも、時にけがはある。宙に打ち出される「トップ」を下で
受け止める要の「スポット」を務める一年生の飯山直輝さん(19)は昨年の十一月、鼻
骨を折った。大学祭での演技中、トップ同士が空中で接触してバランスを崩し、その肘が
顔面を直撃したのだ。
血があふれてくる感触が分かった。だが、客に血は見せられない。顔を仲間の背に隠し
ながら演技を終え、救急車で運ばれた。
療養の間、先輩から手紙をもらった。
「トップが安心して背中を預けられるスポットにな
ってくれ」。ひと月後、防具を顔に当て練習に復帰した。「演技中、客と目が合う瞬間があ
る。夢中になっている笑顔を見ると、こちらもうれしい。チアは人を元気にする、応援す
るスポーツだと思う」と飯山さん。
今年、ショッカーズは本場の米国でデビューする。三月にロサンゼルス近郊であるチア
スポーツ大会で、演技を披露することが決まったのだ。
設立から今年で十年目。日本発の男子チアが世界に飛び出す。
<オトコ全力!>(3)仲間と暮らす シェアハウス運営
中日新聞 2013 年 1 月 4 日
高木克彦さん(24)
シェアハウスのリビングで同居する仲間とくつろぐ
高木克彦さん(左から2人目)=名古屋市西区で
名古屋市西区の住宅地にある「シェアハウ
ス虹色・庄内通ハウス」。中古の二階建て民
家には、二十代~三十代の社会人男女が六人
で暮らす。
夜、ぽつぽつと入居者が仕事から帰ってく
る。「ただいま」と言うと、他の住人が「お
かえり」と温かく迎える。リビングで読書す
る人や、おしゃべりする人。一緒に夕飯を作
り、和気あいあいで食べることもある。「家
庭的な雰囲気ですし、職場以外の人とも交流できるのがいい」
。入居する保育士の森菜津美
さん(24)は話す。
ハウスを運営するのは高木克彦さん。ハウス名には「一緒に暮らす人たちが、それぞれ
の個性を発揮し、輝けば」との願いを込めた。自らも住み、一緒におしゃべりしたりする。
キッチン、リビング、トイレなどは共同、寝室は二~四人の相部屋。掃除も当番制で、高
木さんにも回ってくる。家賃は月三万四千円だ。
シェアハウスのオープンは、二〇一一年七月。
「人と関わり、シェアハウスの文化を名古
屋にも広げたい」と思ったのが理由だ。
高木さんは十八歳まで三重県鈴鹿市で過ごした。自分の世界を広げたいと高校卒業後、
住むあてもなく上京。そこでシェアハウスを知った。
「最初はネットカフェに泊まったけど、
『何か違う』と感じた。保証人がいらないからと、
次に泊まった新宿のゲストハウス(シェア住居より短期間の宿泊にも対応する)で、はま
っちゃって」
スウェーデン人の青年、ヨアキムさんが迎えてくれた。九カ月の滞在で見ず知らずの人
と交流し、自身の視野が広がるのを感じた。東京での三年間は、シェアハウスなど三カ所
を渡り歩いた。
その間、中華料理店やバーなどでのアルバイト、ネットショップ運営などで生計を立て、
ハウスの仲間と夢を語り合った。他人と暮らす煩わしさもあったが、それを上回る充実感
があった。
東京から無一文で歩いて、富士山を目指すイベントにも仲間と参加。食べ物を請い、公
園で野宿し、五日がかりで山頂に立った。入居者同士で仕事を頼み合うなど「横のつなが
り」も心地よかった。数々の仕事の経験から「人と関わる仕事がしたい」とも思った。
家庭の事情で実家に帰り約半年。自己資金と知人からの借り入れで、ハウスの運営を仲
間と二人で始めた。
「僕らの世代が横のつながりを求めているのは、東京も名古屋も同じ」
。
まだ名古屋ではシェアハウスは珍しかったが、受け入れられると確信していた。
最初の物件では貸主の理解が得られなかった。それでも数カ月後には持ち前の行動力で
庄内通の民家と契約、オープンにこぎつけた。昨年三月には近くに二棟目のハウスも開い
た。
高木さんは現在、コールセンターの契約社員としても働く。仲間との生活には満足して
いるが、
「人生はあっという間。やりたいことは、いっぱいある」と感じている。春ごろに
は東京と名古屋を拠点に、新しい仕事を始める予定だ。
「横のつながりと、ウェブの知識を
生かした仕事をしたい」と、高木さんは夢を紡ぐ。
<オトコ全力!>(4)トラ男をプロデュース
ろさん(27)
中日新聞 2013 年 1 月 5 日
故郷活性化に取り組む
武田昌まさ大ひ
トラ男プロジェクトを進める武田昌大さん
(左)と専業農家の小林岳央さん。真剣に米作
りに取り組み、ソーシャルメディアを駆使して
売り込む=秋田県八峰町で
「日本の農業の未来は、僕らが変える」。
そんな志と情熱を持った若い米農家たち
がいる。その名も「トラ男(お)
」
。トラ
クターに乗る男前という意味だ。
「イケメンなんて軽い言葉は、彼らに
似合わない」
。プロデュースした武田昌大
さん=東京都練馬区=は言う。
「六十キロ
の米袋を、軽々と笑顔で持ち上げる。田んぼの力と書いて男。たくましくて真面目で硬派
な農家こそが、本物の男だと思う」
トラ男は、武田さんが三人の米農家と一緒に二〇一〇年五月から始めたプロジェクト。
農業を「カッコイイ」イメージに変え、若い就農者を増やす狙いだ。武田さんを含め、メ
ンバー全員が、秋田県出身の二十代男性。あきたこまちを、それぞれの名前入りの「トラ
男米」として、専用サイトで販売する。
単なるネット通販とは違い、トラ男たちはソーシャルメディアを使いこなし、日ごろか
ら客と交流する。ツイッターでは「汗垂らして種まき中」「稲刈りなう。全力投球」とつぶ
やき、農作業や出荷の状況をリアルタイムで伝える。田植えツアーや試食会で顔を合わせ
る機会もつくる。
きっかけは、寂れる故郷と米作りへの危機感だった。武田さんは大学卒業後、東京のゲ
ームソフトメーカーに勤務。将来は、秋田に帰ろうと考えていた。「でも仕事がない。それ
なら自分で作ろうと、秋田の強みのお米に目をつけたんです」
昼は仕事、夜は大学院でITビジネスを学び、週末は秋田へ。米農家を訪ね歩いて話を
聞くと、問題ばかりが見えてきた。高齢化や後継者不足、休耕地の増加、重労働に低賃金
…。
「若い僕らが何とかしないと先はない」
熱い思いに共感したのが、同世代の三人の米農家だった。
プロジェクト開始の二カ月前、澤藤匠さん(25)=秋田県北秋田市=は、市内の居酒
屋で武田さんに初めて会った。
「話が唐突すぎて、自分たちに何ができるんだろうと、半信
半疑だった」と振り返る。
まずは存在を知ってもらうため、武田さんに一から教わってブログを書き始めた。じわ
じわと広がり、やがて大きなやりがいに変わる。
「自分の家で作った米が、初めて他の人に
もおいしいと言われた。単純にうれしい」。澤藤さんは人懐こい笑みを浮かべる。
今までは収穫した米のすべてを地元の農協に出荷。市場には他の農家の米と混ぜられて
流通していた。トラ男米の販売で、食べた客に初めて感想を聞くことができた。
トラ男にはそれぞれ、ユニークな別名がある。農家個人のブランドで直接米を売るなら
キャッチフレーズが必要と、武田さんが考えた。澤藤さんは「燃える愛菜家 TAKUM
I」
。リンゴ園も営み、果樹を大切に育てる優しい人柄を「愛妻家」にかけている。
「水田の貴公子 TAKAO」こと、小林岳央さん(29)=秋田県八峰町=は、
「自分
の米で勝負していきたい」と、参加の理由を率直に語る。“白馬”に乗っているかのように、
白いコンバインでゆっくりと稲刈りをする姿は、さわやかそのものだ。
トラ男は活動四年目を迎え、米の販売量は六トンほど。秋田と都会、生産者と消費者の
距離を近づけ「ファンを増やしていきたい」と武田さん。「夢が持てる、やりがいがある、
嫁がやって来る。トラ男が目指すは『3Y』な農業です」
<オトコ全力!>(5)障害者の就労後押し
揮さん(37)
中日新聞 2013 年 1 月 6 日
日本ダイバーシティ推進協会代表
久保博
イベントで「半分ごっこ」を弾き語りする久保
博揮さん=名古屋市千種区で
「みんなで円陣をつくって」
全盲の久保博揮さん=名古屋市昭和区
=が呼び掛けると、アイマスク姿の男女
七人は「ここにいます」と言う互いの声
を頼りに、手をつないだ。
昨年末、昭和区のカフェで開かれたイ
ベント。目が見えない体験を通じ、知ら
ない者同士がコミュニケーションを図る
のが目的だ。男性会社員(38)は「初対面の人と話す方ではないが、目が見えないと素
直に話しかけられる。手をつなぐのも抵抗がない」と話す。久保さんは「見えないからこ
そのメリットがある。障害と考えず、前向きに価値としてとらえたい」と言う。
久保さんは中学三年の時、同級生から何度も「気持ち悪い」などといじめられた。
「ベー
チェット病の症状があって顔色が悪く、人と違った」と振り返る。他人の視線が怖くなっ
て自室に引きこもり、高校は一年で中退。十九歳の時、ベーチェット病に伴う眼病で入院
中、症状が進行して失明した。
その入院中、阪神大震災が起き、いじめからかばってくれた友人が亡くなった。「身近な
人が死に、自分は死ぬことはできないと分かった。生きているなら、自分の存在価値をつ
くりたい」
。盲学校、京都外国語大に進み、英語教師を目指して米国へ留学した。
その米国で衝撃を受けた。道路で誘導してくれた男性に何度も礼を述べると、
「君は目が
見えないことを申し訳ないと思っているだろうが、そんなことはない。君は君にしかでき
ないことをやればいい」と言われた。「今まで社会から“してもらう”立場だった。全盲なの
にすごい、と言われることで普通になりたかったけど、自分で自分を差別していたんだと
気付いた」
帰国後は進路を見失い、大学卒業後はニートに。生活は昼夜逆転し、ネットラジオで自
分の演奏を流したり、友人とライブをしたり。二年後、結婚を機に通信会社の特例子会社
に就職。三十一歳だった。
仕事は障害者、高齢者向けのウェブポータルサイトの運営で、リーダーになった。同僚
は身体、精神、知的などの障害者ばかり。調子が悪い人が多かったため、二人担当制とし、
一人が休んでも仕事が止まらないようにしたり、会話を増やしたりするなど、職場を改善
した。
「僕は資料が見えないので、
『あれ』『これ』では通じない。あいまいな言葉は質問し
て確認することで、誤解を防ぐことができた」。多様な障害がある同僚をまとめた経験を、
社外でも生かそうと思うようになった。
約一年前、障害者などの就労支援のため、日本ダイバーシティ推進協会を設立し、代表
となる。ダイバーシティとは人材の多様性の意味。
「障がいを違いに、違いを価値に」が目
標だ。
「障害者も健常者も、互いの違いを認め合い、分からないときは聞く」ことを伝えよ
うと、一般や企業向けにイベントや研修会などを開く。今までのように支援される一方で
はなく、障害者も健常者を支援する側に回ることを目指している。
久保さんが作詞作曲した歌が二〇一〇年、障害がある人のコンクール「わたぼうし音楽
祭」で大賞を受賞。小学校やNPOのイベントで歌う。題は「半分ごっこ」
。
♪誰もが完璧には生きられない 半分ずつ分け合って支えあう あなたがくれたあたた
かさのように わたしも誰かに優しくなれたら
歌詞には、失明してから背中を押してくれた、周囲の人への感謝が込められている。
◆雇用率引き上げ 効果は
働く意欲がある障害者の増加に伴い、四月から障害者の法定雇用率が十五年ぶりに引き
上げられる。民間企業は全従業員の1・8%から2・0%に。ただ、実際に企業で働く障
害者の割合は二〇一二年で1・69%。
久保さんは「雇用率のための雇用なら、人員削減で切られてしまうのでは。個人の特性
や価値が生かされていれば、外部環境の影響は受けにくい。制度に依存せず、障害者が働
ける社会を」と望む。
少子高齢化が進む日本では、障害者に限らず、女性や高齢者、外国人などの活躍も欠か
せない。復興庁上席政策調査官で、ダイバーシティ研究所(大阪)代表理事の田村太郎さ
ん(41)は「昼間に起きた東日本大震災では、消防団で思い描くような力のある男性が、
地域から離れていた」と指摘。
「今後は高齢者でも運べる援助物資とか、発想を変えないと
地域がだめになる。弱みを持つ当事者が一番、かゆいところに手が届く考え方をする。一
緒にやることで、みんなが暮らしやすく働きやすい方向へ進む」と話している。
<オトコ全力!>(6)困窮家庭の学び支援 全国学習会ネットワーク代表・犬飼公一さ
ん(26)
中日新聞 2013 年 1 月 7 日
子どもと一緒に宿題を考える犬飼公一さん=滋賀県守山
市で
授業のあと、並んで座った女子学生の膝に顔を
うずめていた小学四年の女の子。
「渡せばいいよ」。
学生に励まされ、犬飼公一さん=滋賀医科大六年、
大津市=に走り寄る。握り締めていた手紙を渡し、
廊下に駆け出した。
「いぬかいさん、たんじょう日おめでとう!!
いつもべんきょうを、おしえてくれてありがとう。
これからも、よろしくネ(中略)それとねー、い
ーっぱいあそぼうネ」
かわいい便箋に、カラフルな文字が躍る。この
日は犬飼さんの誕生日。女の子は手紙を書いてき
たものの、なかなか渡せずにいたのだ。
生活保護世帯の小学四年~中学三年生向けに、
滋賀県守山市が昨年一月に始めた無料学習会。滋
賀医科大や立命館大、龍谷大の学生でつくる学習支援団体アトラス(十八人)のメンバー
が週一回、一対一で宿題などを教える。場所代や学生の交通費は市が負担。休憩中のおや
つなどは学生が持ち寄る。
現在、通っている子は七人。中には机に向かわず、学生と話してばかりの子も。犬飼さ
んは「居場所です。週一回でも自分が受け入れられ、見守られて過ごした記憶は将来、壁
にぶつかったとき、乗り越える力になるはず」と話す。
生活保護世帯には一人親家庭も多い。小学六年の子を通わせる母親は「習い事をさせる
余裕も、宿題を見てやる時間もなく、『やりなさい』と言うばかりで心苦しかった」と振り
返る。人見知りで家にこもっているのが好きな子だが、学習会の日だけは自ら準備し、送
迎する母の帰りを待つように。
「本当に驚いた。兄姉のように勉強を教えてくれて助かりま
す」と感謝する。
名古屋市出身の犬飼さんは、研究者になろうと京都大に入ったが、
「人とつながり、役立
つ仕事を」と滋賀医科大に入り直した。京大生のころ、生活保護世帯の子の高校進学率が
低く、大人になっても貧困から抜け出せない「貧困の連鎖」を知った。
自身も経済的な事情で塾に行けず、図書館などで勉強。支えとなったのは、いつでも質
問に答えてくれた先生や一緒に勉強した友人の存在だった。医科大に入ってすぐ、困窮家
庭の子の教育支援を大津市役所に持ち掛けた。同級生らに声を掛け、二〇〇七年にアトラ
スが発足。市と連携し、保護世帯や母子家庭の中学三年生の学習会を始めた。
一年目、百点満点のテストで十点を超えたことのない子がいた。「今日はこの一問だけ解
こう」と取り組むうち、第一志望に合格。高校卒業後、地元企業に就職した。
短期目標は高校進学だが、真の願いは「将来にわたる自立性」
。大津市に次いで始めた守
山市では中学生が小学生を教えるなど意外な効果も見えてきた。大学生も教えたり、頼ら
れたりして成長していく。
学習支援は一〇年ごろから各地で増加。ノウハウを学び合おうと犬飼さんは一一年五月、
全国学習会ネットワークも組織した。
二月に医師国家試験を控え、春からは愛知県内の病院で研修予定。ここ数年、学習会の
参加者で、手首に傷がある子を見るようになった。学習支援にもかかわりつつ、子どもの
心を支えられるような医師になりたい。
「貧困の連鎖」を「希望の連鎖」に変えるために-。
=おわり
(この連載は境田未緒、三浦耕喜、佐橋大、林勝、発知恵理子、吉田瑠里が担当しました)
◆子どもの貧困率
厚生労働省の調査では、子どもの貧困率は二〇〇九年で15・7%、六人に一人が貧困
状態だ。ユニセフの研究所が発表した国際比較では、日本の子どもの貧困率は経済協力開
発機構(OECD)三十五カ国のうち、九番目に高い。
文部科学省と厚労省によると、全国の高校進学率は98・3%(一二年度)なのに対し、
生活保護世帯の高校進学率は89・5%(一一年四月現在)
。子どもの貧困問題に詳しい千
葉明徳短大の山野良一教授は「乳幼児期の安定した家庭環境や習い事の有無などは学力の
基礎になる。貧困世帯の子はリスクを背負っており、貧困の連鎖が起きやすい」と指摘す
る。
学習会は家の状況を友人にも言えない子にとって、仲間がいて、大人に認めてもらえる
場所。年が近い大学生は子どもたちの「モデル」にもなる。埼玉県の学習支援事業では、
高校進学率が上がった実績も。山野さんは「日本の教育は親の負担が大きすぎる。社会全
体で支援する必要があり、貧困の連鎖を防ぐ対策は少子化対策にもつながる」と語る。
月刊情報誌「太陽の子」、隔月本人新聞「青空新聞」、社内誌「つなぐちゃんベクトル」、ネット情報「たまにブログ」も
大阪市天王寺区生玉前町 5-33 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所発行
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