JOMF NEWS LETTER No.261 (2015.10) 病気の世界地図・トラベルドクターとまわる世界旅行 第 13 回「都市観光の健康術~ポルトガル・リスボン」 東京医科大学病院 渡航者医療センター 教授 濱田篤郎 坂道に感じる異国情緒 ヨーロッパには坂道の多い町が沢山あります。たと えばローマ。この町はその創建時から七つの丘を中心 に建設されており、それぞれの丘は坂道によって結ば れていきました。そしてポルトガルの首都リスボン。 この町もいくつかの丘を中心に町が建設されているた め、急な坂道で有名です。 私は 2006 年にトラベルメディスンの国際学会に参 加するためリスボンを訪れたことがあります。この学 会の懇親会が開催されたのは市内にそびえるサン・ジョルジェ城でしたが、この城は丘の 頂上にあり、かなり急な坂道を登っていったことをおぼえています。 もともと、ヨーロッパでは丘の上に町が作られることが多かったようです。これには2 つの理由がありました。一つは外敵から町を守るためという戦略的な理由。そして、もう 一つはマラリアを回避するためという健康的な 理由です。ヨーロッパでは地中海沿岸を中心に 19 世紀頃までマラリアが流行していました。と くに患者の発生が多かったのが湿地の周辺で、 これはマラリアを媒介する蚊が繁殖していたか らです。湿地は低い場所にできるため、そこを 避けて丘の上に町を建設したのです。 一方、日本では丘の上に町が建てられること は、あまりありませんでした。日本では大規模 JOMF NEWS LETTER No.261 (2015.10) な外敵侵入が少なかったとともに、マラリアの流行がヨーロッパ程ではなかったことも影 響しているのでしょう。このため、私たちはヨーロッパを旅行する時、町の中を走る坂道 に異国情緒を感じます。国内でも長崎、神戸、横浜という町に異国を感じるのは、日本に は珍しく坂道が多い町だからではないでしょうか。 都市観光で体力消耗 私がリスボンを訪れた時も、そん な異国情緒を味わおうと、丘の上に ある展望台に登ってみました。この 町では急こう配の坂道にケーブルカ ーが設置されていますが、私は日頃 の運動不足解消にと、自分の足を使 いました。 息せき切って展望台に到着すると、 頭がフラフラになり、目の前にあっ たベンチに倒れこんでしまいました。 私の疲労困憊した姿に、地元のご老 人から「大丈夫ですか?」と聞かれた程です。 「この展望台は標高 200mを越えています。観光客はケーブルカーを使った方がいいで すよ」 標高 200m といえば東京近郊にある高尾山の中腹にあたる高さ。周囲は町の景色のまま なので油断していましたが、かなりの運動量でした。 暫く休んでいると、足の先がジンジン痛くなってきました。実はこの日、私は学会場で 研究発表をしてから観光に出ました。このため、スーツ姿に革靴という仕事着のままだっ たのです。スーツ姿はいいとしても、さすがに革靴で坂道を登ると、足には相当な負担が かかります。このため、足の指に靴擦れができしまったようです。仕方がないので、そこ からケーブルカーで下まで降りて、そのままホテルに戻りました。 「ローマの休日」に見る都市観光の秘訣 ホテルの部屋で靴擦れの処置をしながら、私は映画「ローマの休日」のワンシーンを思 い出しました。 この映画は、オードリー・ヘップバーン扮する王女様が一般市民に扮してローマ観光を 楽しむという筋書きです。王女様はこの町の観光名所を一日で周遊していますが、ローマ と言えばリスボンと同様に坂道の多い町。そこを短時間で観光するとなれば、足への負担 も相当かかります。映画の中ではそれを難なくこなしていますが、その秘密がローマ観光 の冒頭で彼女がとる行動にありました。王女様はそれまで履いていたヒールのある靴を脱 いで、町で買ったばかりの平底のサンダルに履き替えているのです。もし彼女がヒールの まま歩き続けていたら、私と同じように靴擦れになってしまったことでしょう。 JOMF NEWS LETTER No.261 (2015.10) 実は、 「ローマの休日」には靴以外にも、都市観光を健康的に楽しむための秘訣が随所に 挿入されています。たとえば、この映画は夏が舞台になっていますが、夏のローマと言え ば大変気温が高く、観光中に熱射病になってしまう人も少なくありません。そこでオード リーの着る服装に注目してください。コットンの長袖ブラウスにロングスカートは一見暑 そうに見えますが、意外と風通しがよく、熱射病対策にはもってこいの服装なのです。そ して、映画にはカフェで休憩するシーンもよく出てきますが、こうした定期的な水分補給 は夏の都市観光には欠かせない健康対策になっています。 ヨーロッパ旅行を予定している方は、健康対策のため、是非、 「ローマの休日」をご覧に なってください。 坂道の町で発展する靴産業 展望台に登った翌日、町中にあるデパートの靴売り場に行ってみました。そこで靴を買 うつもりはありませんでしたが、どんな靴が売られているか興味がありました。すると、 そこには驚くほど色々な種類の靴が並んでいました。 「ポルトガルには靴職人が多いので、靴の製造が大変盛んです」 私が靴を眺めていると、店員が話しかけてきました。靴の製造と言えばイタリアかと思 っていましたが、最近はポルトガルに製造の拠点が移動しているそうです。 「リスボンやローマは坂の多い町だから、靴がよく作られているのでしょうか?」 「はい。坂の多い町に住む人は靴の履き心地に大変うるさいです。ちょっとした靴の不具 合いで足を痛めてしまいますからね」 その話を聞いて、私は昨日、坂道を登って靴擦れができたことを店員に話しました。 「なるほど、お客さんの靴だと当然ですね」 と言いながら、店員が店の奥からウオーキングシューズを出してきました。 「これは、アルコペディコというポルトガルブランドの靴です。この町で育ったメーカー だけに歩きやすいですよ」 言われるままに履いてみると、たしかに歩きやすい。東京にもお店を出しているとのこ とで、思わず買ってしまいました。このメーカーは 1960 年代に誕生した比較的新しいブ ランドですが、私のように坂道で足を痛めてしまう人が多発したため、足に優しい靴をモ ットーに製造しているとのことでした。 旅行向きの靴とは その後、学会場にもどると、今回の学会ツアーを企画した日本の旅行会社のAさんが話 しかけてきました。 「足を引きずっているようですが、大丈夫ですか? 先生も坂道の洗礼にあいましたね」 Aさんによれば、リスボンでもローマでも、日本人旅行者が観光中に足を痛めることは よくあるそうです。これは坂道が多いのと、石畳の道が多いことも原因になっているよう です。 靴擦れだけではなく、 捻挫や腰を痛めて現地の病院にかかるケースもあるとのこと。 「先生は専門家だから渡しませんでしたが、一般の旅行者には旅先での靴選びというパン JOMF NEWS LETTER No.261 (2015.10) フレットを配布しています」 「そのパンフレット、私にもくれます?」 専門家と言われた手前、顔を赤くしながら、そのパンフットを受け取りました。 先に「ローマの休日」でも紹介したように、女性が旅先で履く靴は、かかとの低い靴が 原則です。本当はスニーカーが一番いいそうですが、旅先でもファッショナブルな格好を しようと思うと、なかなか合わせにくいようです。このため、パンプスやローファーなど がお奨めになります。また、少々かかとの高い靴を希望されるなら、厚底サンダルもいい でしょう。 では、男性はどうかというと、こちらもスニーカーが一番のお奨めで、そうでなければ ウオーキングシューズということになります。私のようにビジネスの途中で観光をする場 合は、スニーカーなどを別に持参することをお奨めします。 ハイヒールの本当の起源 このように考えてみるとハイヒールはヨーロッパ旅行に不向きと言うことになりますが、 そんな靴が誕生したのは 17 世紀のヨーロッパでした。 今でこそ、ハイヒールは女性の履物で、スタイルを美しく見せるための必須アイテムに なっていますが、17 世紀の頃は男性もハイヒールを履いていました。その理由は、町中に 汚物が沢山捨てられていたからです。それを避けて歩くためにハイヒールが開発されたの です。 ヨーロッパの町で下水道が敷設されるようになったのは 19 世紀になってからでした。 それまでは糞尿などの汚物が道端の汚水溝に投げ捨てられていました。この汚水溝の流れ は大変に悪く、雨が降ると道の上に汚物があふれ出していたそうです。このため、今でこ そ異国情緒を感じるヨーロッパの坂道も、雨のあとは汚物だらけになっていました。そこ を歩くのに平底の靴では洋服が汚れてしまうので、当時の人々はハイヒールを履くように なったのです。 あの坂道を男性も女性もハイヒールで歩き回っていたわけですから、当時の人々の足腰 は相当に強かったのでしょう。その後、衛生状態が改善されてくると、男性は機能的に動 きやすい平底の靴を使用するようになり、ハイヒールは女性のみの使用になっていったの です。 欧米で発展する足の医学 私の参加した学会では最終日に「足の医学」に関する講演がありました。日本では知ら れていない分野ですが、欧米には「足科」を標榜する医師が沢山います。欧米には靴を履 く文化が昔からあったので、こうした医学の発展につながったのでしょう。 この講演では旅先での靴の選び方の話もありましたが、日常生活での外反母趾や魚の目 の治療の話も聞けました。また、糖尿病の患者さんは足の感染をおこすことが多いのです が、そのケアもこの医学の大きなテーマとのことでした。今後、日本でも足の医学は発展 していくことと思います。 JOMF NEWS LETTER No.261 (2015.10) 学会が終了してから、私はケーブルカーを利用して再び展望台に登ってみました。もち ろん靴は昨日買ったウオーキングシューズです。丘を中心に広がるリスボンの町並みは、 日本にはない風景でしたが、それを見て私は異国情緒よりも、なぜか日本の町並みが懐か しくなりました。私たち日本人は、のっぺりした平地に作られた町の方がしっくりいくよ うです。リスボンには 1584 年に日本から天正少年使節団が訪問していますが、彼らもこ の展望台から町を眺め、日本への郷愁を感じたことでしょう。
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