病気の世界地図・トラベルドクターとまわる世界旅行

JOMF NEWS LETTER
No.255 (2015.4)
病気の世界地図・トラベルドクターとまわる世界旅行
第8回「逃亡中に透析治療を受ける方法~パキスタン・イスラマバード」
東京医科大学病院
渡航者医療センター
教授 濱田篤郎
ビン・ラーディンの逃亡生活
2011 年 5 月、パキスタン北部のアボ
ッタバードで、アルカイダの指導者の
ビン・ラーディンが米軍の特殊部隊に
より殺害されました。2001 年 9 月にお
きた同時多発テロ以来、米国政府は国
の威信をかけてこの人物を捜索してい
ましたが、ようやく潜伏先を発見し、
そこを急襲したのです。
アボッタバードは首都イスラマバー
ドの北東 60km に位置する高原の町で、
ヒマラヤ観光の拠点になっています。
また、この町にはパキスタンの陸軍士
官学校もあり、ビン・ラーディンの潜
伏先も、そこから至近距離に位置していました。そんな状況から、パキスタン軍関係者が
彼の逃亡生活に何らかの関与をしていた可能性も噂されています。
いずれにしても、ビン・ラーディンは同時多発テロ以来、10 年近くもパキスタン周辺で
逃亡生活を続けていたわけですが、
この間、彼は腎臓の病気で透析治療を受けていました。
米国政府の厳しい捜索をかいくぐり、透析という高度医療をどのように受けていたのでし
ょうか。この謎を解く鍵として、私が以前、イスラマバード近郊を訪れた時に見た異様な
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光景がヒントになります。それは、町中の薬局で、患者が購入したばかりの点滴を受けて
いる姿です。
今回はビン・ラーディンの逃亡生活の謎に迫りながら、パキスタンの医療について紹介
したいと思います。
透析治療に至った経緯
透析とは腎不全に陥った患者に行う治療法で、日本でも約 30 万人がこの治療を受けてい
ます。このうち 10 万人は糖尿病による腎障害が原因ですが、実は、ビン・ラーディンも糖
尿病を患っており、それが原因で 2000 年代初頭から透析治療を受けていたそうです。彼の
母国であるサウジアラビアでは、最近になり糖尿病患者が急増していると聞きます。
同時多発テロ直前の 2001 年 7 月、彼はUAEのドバイにある病院に入院していますが、
この時も透析治療が目的だったようです。透析には2つの方法があり、血液透析は2~3
日に1回、透析装置を用いて血液中の老廃物を取り除きます。この方法は医療機関で受け
るのが一般的です。もう一つの腹膜透析は、腹腔内に透析液を注入して老廃物を除去する
方法で、毎日行う必要がありますが、自宅での治療も可能です。通常、透析の導入期に腹
膜透析を行い、4~5年経過すると血液透析に移行します。
ビン・ラーディンも逃亡生活を始めた当初は腹膜透析だった可能性がありますが、後半
は血液透析を受けていたと推測されます。彼が医療機関を定期的に受診することは不可能
ですから、潜伏先に透析装置を置いて、そこで医師などによる治療を受けていたのでしょ
う。ただし、アボッタバードの潜伏先では、透析装置が発見されなかったそうです。
その真偽はともかくとして、潜伏先で血液透析を受けるには透析装置だけでなく、輸液
や抗菌薬、さらには血液製剤などの治療薬が必要になります。こうした高度な医療機器や
治療薬がパキスタンで自由に入手できたのでしょうか。
イスラムスタイルの病院
私がパキスタンを訪問したのは、
同時多発テロがおこる前の 1997 年のことでした。当時、
私が所属していた病院が、イスラマバードの国立病院と提携関係を結ぶことになり、その
文書を交換するための訪問でした。
シンガポールからカラチに到着し、そこでイスラマバード行の国内便に乗り換えたので
すが、離陸してシートベルト着用のサインが消えると多くの乗客が立ち上がり、お祈りを
始めました。イスラム教徒は毎日 5 回、メッカに向かって礼拝すると聞いていましたが、
まさにそれが機内で始まったのです。異教徒は私だけで、目立たないように息をひそめて
座っていました。これまでに私も様々な国を旅してきましたが、イスラムの戒律が厳しい
国は、パキスタンが初めてだったと思います。
イスラマバードは 1960 年代に首都をカラチから移すために建設された人工的な町です。
その一画の広大な敷地に国立病院の建物がありました。病院が建てられた当時は日本政府
からの資金援助があったそうで、建物自体は大変に美しく立派ですが、院内に入ると貧し
い患者達であふれていました。パキスタンにかぎらず発展途上国の国立病院は医療費が安
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いため、受診者はその国の貧困層が中心になります。このため日本人が受診するのはなか
なか難しいとされていますが、この病院もそんな状況でした。
副院長に案内してもらいながら院内を歩いていると、不思議な光景にでくわしました。
病院の受付に二つの列ができているのです。一つは男性だけで、数人しか並んでいません
が、もう一つの列には沢山の女性が並んでいます。
副院長にその理由を聞いてみました。
「この病院では男女の受付が別々になっています。
受付担当も男性用は男性、女性用は女性です。わ
が国はイスラム教の国ですから男女の区別が厳格
になっています」
イスラム教の戒律は医療の分野にも影響を及ぼ
病院の受付(男女別になっている)
していました。
薬の在庫がほとんどない
院内見学の途中で薬局に立ち寄りました。以前、この病院に入院したことのある日本人
から、
「国立病院では医薬品が不足している」という話を聞いていたので、薬品庫を見せて
もらいました。案の定、輸液や抗菌薬などの薬剤がほとんど在庫がありませんでした。
「国立病院は国の予算で運営されています。今、わが国の財政は大変苦しい状態なので、
とても医療関係にまで手がまわりません。かつては、この薬品庫にも薬が沢山ありました
が、残念ながら今はこんな状況です」
私が聞く前に、副院長が答えてくれました。そこで次の質問をしてみました。
「こんな状態では満足な治療が提供できませんよね。たとえば感染症で抗菌薬の治療が必
要な場合はどうしますか?」
「お金持ちの患者は私立の病院で治療を受けます。私立病院には高価な抗菌薬が沢山あり
ますから。それから、町の薬局に行ってみると分かりますが、あそこでも抗菌薬を売って
います。入院患者の中には自分の薬を町の薬局から買ってくる人もいます」
薬局で見た異様な光景
翌日、私はイスラマバードの近郊にあ
る古都ラワルピンジを訪れました。イス
ラマバードと違って、この町は多くの
人々でごった返しており、大変な活気が
感じられます。副院長に連れられて土産
物屋を何軒かのぞいていると、その先に
大きな薬局がありました。店内には現地
のウルドゥー語で書かれた薬とともに、
ラワルピンジの町並み
欧米ブランドの薬も沢山売られています。そして、その中には抗菌薬もありました。
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「これが、昨日、あなたの言っていた薬ですね?」
「そのとおりです。ただ、この中には偽薬もあるから注意しないといけません」
そんな話をしていると、横にいた女性客がその抗菌薬の箱をとって薬局のレジに向かい
ました。そして、医師の処方箋を出すこともなく、いとも簡単にその薬を買っていったの
です。パキスタンだけでなく発展途上国では薬剤の販売に関する規制が緩く、抗菌薬や眠
剤など日本では医師の処方箋が必要な薬も、処方箋なしで入手できます。
「もっと、驚く光景がありますよ」
副院長が指さす方向を見て、私はギョッとしました。店の奥でお客さんが点滴を受けて
いるのです。副院長曰く。
「あの薬もこの店で購入したものでしょうね。ここでは注射薬も購入できます。それを店
の薬剤師にお願いして点滴してもらっているのです」
こうした薬剤に関する規制が緩いことは、副作用の被害が多発する原因になりますが、
もう一つ問題になっているのが多剤耐性菌の発生です。これは、抗菌薬の乱用でおこるも
ので、最近、パキスタンやインドなど南アジアで急増しています。このような問題を解決
するには、薬剤の規制強化が必要ですが、国としてそこまで取り締まるのは難しいようで
す。さらに、こうした裏道のあることが、この国の医療を支えているのです。
ビン・ラーディンの最後
ここでビン・ラーディンの話に戻ります。彼が 10 年にもわたる逃亡生活中に潜伏してい
たのは、パキスタンが中心だったと考えます。それというのも、パキスタン国内であれば、
透析治療のための医療器材が比較的準備しやすかったからです。この国の糖尿病患者数は
700 万人。これは日本とほぼ同数で、それだけ透析治療に至る患者も多く、医療器材が入
手しやすい環境でした。また、今まで述べてきたように、この国ではお金さえ払えば、医
療器材だけでなく、輸液や抗菌薬など透析中の患者を支えるのに必要な治療薬も容易に入
手できました。こうして入手した器材や薬剤を用いて、ビン・ラーディンは潜伏先で秘か
に透析を受けていたのでしょう。
彼が最後に潜伏していたアボッタバードには陸軍士官学校がありました。この中には軍
の病院もあり、そこに所属する医療関係者が秘かにビン・ラーディンの透析を支えていた
という噂もあります。また、アボッタバードそのものが医療面で有名な町でした。それと
いうのも、この町には 1948 年の第一次印パ戦争中に赤十字病院が建てられ、兵士たちの医
療支援が行われていました。現在でも、この赤十字病院は 1000 床を越える大病院としてパ
キスタン北部の医療拠点になっています。ビン・ラーディンがこの病院で透析を受けるこ
とはなかったでしょうが、アボッタバードでは医療器材や薬剤が比較的入手しやすかった
と考えていいでしょう。
パキスタンビールの味わい
今回のイスラマバード訪問の目的は、国立病院と提携文書を交わすためでしたが、その
仕事も無事に終わりました。この病院の建設には日本からの資金も多く使われており、現
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地の日本人の方々にも、この病院を出来るだけ活用していただくようお願いしてきました。
イスラマバード最後の夜、副院長が自宅でパーティを開催してくれました。テーブルに
は、この国の定番料理であるケバブやコルマとともに、パキスタン産のマリービールも並
んでいました。イスラム教の国でアルコールは飲めないと思っていましたが、このビール
はイスラマバード近郊で醸造しているそうです。日本のビールに比べるとやや大味ですが、
私はビールを飲めるだけで幸せな気分になりました。
「カシミールに近いフンザには美味しいワインもあります。この国では薬と同じように、
お酒も努力をすれば自由に手に入れることができます」
副院長のそんな言葉を聞いて、私はパキスタンという国が好きになりました。