戦略ケース マイクロソフト・コーポレーション(Microsoft Corporation) 変わるネット経済の覇権 -マイクロソフト戦略の行方 マイクロソフトが転換期を迎えている。同社は 1990 年の「ウィンドウズ 3.0」のヒット に始まり、 「同 3.1」 (1992 年)、 「同 95」(1995 年)、 「同 98」 (1998 年)、最近では「ウィ ンドウズ 2000」を発売と2~3年周期で相次ぎ最先端のオペレーションソフト(OS:基 本ソフト)を発売した(図表1)。ウィンドウズは現在、世界で9割を超えるシェアを誇る OSとなった。アプリケーションソフトでは「オフィス(エクセル・ワードなど)」、イン ターネット関連では「インターネット・エクスプローラー(IE)」 、 「マイクロソフト・ネ ットワーク(MSN)」を展開する世界最大のソフトウエア会社である。 しかし、IT革命のスピードの速さと競争環境の変化は、1990 年代のIT産業をリード した大帝国の座を脅かしている。21 世紀を目前にして、同社の勝ち残りをかけた模索が続 いている。 図表1 1998年以降のウィンドウズのリリース動向 年 個人ユーザー用 個人ユーザー用 OS OS ビジネスユーザー用 ビジネスユーザー用 OS OS ウィンドウズ 98 ウィンドウズ NT ワークステーション 1998 1999 ウィンドウズ 98 セカンドエディション 2000 ウィンドウズ2000 ウィンドウズ2000 プロフェッショナル プロフェッショナル ウィンドウズ 98後継 (ミレミアム) 2001 後継OSなし ウィンドウズ ウィンドウズ 2000 2000 後継(ホイッスラー) 後継(ホイッスラー) copyright (C)2002 JMR Lifestyle Research Institute,Ltd all rights reserved 1 戦略ケース 1.マイクロソフトの勝ちパターン ~「提携」と「排除」 1990 年代におけるマイクロソフトの勝ちパターンは「提携・買収」と「競合排除」にあ る。 (1)「提携と買収」により敵をも取り込む ~ビジネスパートナーシップづくり マイクロソフトは長年、チップ・メーカーの「インテル」 、パソコンメーカーの「コンパ ック」などと提携してパソコン市場を押し広げてきた。特にインテルとの関係は「ウィン テル」と呼ばれ、同社のCPU(中央演算処理装置)「ペンティアム」とともにウィンドウ ズも進化してきたことは自他ともに認めるところである。 それと同時に技術開発の効率化と次世代に向けた布石として、多方面で提携(図表2) と買収(投資)(図表3)を進めてきた。 図表2 主な提携企業とその内容 提携時期 アップル 1997年8月 ソニー 1998年4月 日立製作所 1998年6月 松下電器 1998年7月 トムソン 1998年7月 提携内容 ・ IEのマッキントッシュへの採用 ・ MSオフィス製品の提供保証 ・ 150億円相当の融資 ・ ウィンドウズCEをデジタル家電の OSとして採用 ・ ホームサーバー構想のパートナー ・WebTVのセットトップボックス販売 ・衛星・ケーブル技術を組み合わせる 図表3 マイクロソフトの買収・投資企業数の推移 20 20 20 14 13 10 7 0 94 95 96 97 98 (年) copyright (C)2002 JMR Lifestyle Research Institute,Ltd all rights reserved 2 戦略ケース 特にOSの覇権を競ってきたアップルとの提携は、OS競争での勝利を意味する。また この提携は多分に独禁法に配慮したものと言われている。 家電メーカーとの提携はこれまで攻めあぐねていた「家庭のリビングルーム」という巨 大市場攻略の糸口となる。特にデジタル家電化へのカギとなるデジタルTVの技術動向に 大きな影響を与える松下電器とソニーがマイクロソフトと提携を結んだことの意味は大き い。 買収と投資では、キーとなる技術を持つ企業を取り組むことで、ネットワーク時代を見 据えた更なる技術領域の広がりと、効率的な開発という成果が得られている。 (2)徹底した競合潰しで「排除」する ~デファクトスタンダードへのあくなき執念 マイクロソフトは、OS「ウィンドウズ」のデファクトスタンダード化とアプリケーシ ョンソフト「オフィス」によるソフトウエア戦略の中で、競合を徹底して叩くことでその 優位性を高めていった。OSでいえば対アップル、インターネットでは対ネットスケープ である。 1996 年、「ウォール街の奇跡」と呼ばれる成功を収めた企業がある。1994 年に設立され た「ネットスケープ・コミュニケーションズ」はこの年の売上高3億 4620 万ドル、前年度 比で 428%増を記録した。1995 年8月の株式公開以来、ネットスケープの株は 300%以上 も値上がりし、1996 年度の終わりの評価額は 50 億ドルを超えていた。ネットスケープの インターネット・ブラウザ「ネットスケープ・ナビゲーター」は市場の約 83%を占め、2 位のマイクロソフトはわずか8%という状況だった。 マイクロソフトは「ウィンドウズ 95」に自社のインターネット・ブラウザ「IE」を抱 き合わせて販売しようとしたが、独禁法の壁により実現しなかった(現在も係争中)。代わ りにCD-ROMの無料配布やホームページからの無料ダウンロードを展開した。 こうしたマイクロソフトのなりふりかまわぬ施策により、ネットスケープは 1997 年度に は赤字転落し、1998 年年初の株価は最盛期の5分の1まで下落(1995 年 12 月:85.5 ドル →1998 年1月:18 ドル)。さらに従業員数の 15%削減を余儀なくされた。マイクロソフト と競争するため、売上高の 13%を占めるネットスケープ・ナビゲーターを無料で提供する という憂き目にあっている。 (1997 年 12 月シェア →1999 年8月シェア 2.大帝国の揺らぎ ネットスケープ・ナビゲーター54%:IE45% ネットスケープ・ナビゲーター23%:IE75%) ~「司法」と「競争」 「向かうところ敵なし」と思われていたマイクロソフト大帝国にも 21 世紀を目の前にし て、その土台を揺るがすような兆候が見られている。その2大敵は、 「司法」と「競争」で ある。 copyright (C)2002 JMR Lifestyle Research Institute,Ltd all rights reserved 3 戦略ケース (1)「司法」からの圧力 ~「企業分割」の危機 2000 年1月 18 日、アメリカ司法省と 19 の州が起こしている反トラスト法(独禁法)訴 訟で、マイクロソフトはワシントン連邦地裁に対し、 「当社の活動は合法的で、独占的な力 はない」とする反論書を提出した。 これは 1999 年 11 月、ワシントン連邦地裁における「マイクロソフトはOS市場での独 占を乱用して応用ソフト市場でも販売を拡大し、結果として消費者に打撃を与えている」 という事実認定での見解に対する反論である。またこの訴訟の発端となった「ウィンドウ ズ 95 とIE4.0」の抱き合わせ販売に対しても「顧客の利便性を高めた」とし、 「競争相手 を不当に退けた」とする司法省の指摘にも反論している。 現在、水面化で進んでいる和解交渉では、司法省側がマイクロソフトを2~3分割する という和解案が検討されているが、この反論書により、和解は暗礁に乗り上げてしまった。 現状ではマイクロソフトは分が悪く、今後最高裁まで持ち込まれたとしても逆転勝訴は難 しいと言われている。近い将来マイクロソフトは企業分割される可能性が高いということ である。 (2)「競争」での遅れ ~モバイルOSの失敗と新規成長分野での遅れ 「司法=企業分割」以上に切実なのは「競争」である。近年のインターネットなど新規 成長における主要な技術はことごとくマイクロソフト以外の会社から生まれている。 モバイル時代のスタンダードOSとしての期待が高かった「ウィンドウズCE」も伸び 悩んでいる。いくら同じ「ウィンドウズファミリー」で、 「オフィス」などのアプリケーシ ョンソフトまでを含めた親和性が高いとはいえ、普段中心的に使っているOSをそのまま 使えるのがベストである。 「ウィンドウズCE」はユーザーからすれば中途半端なOS以外 の何者でもない。ウィンドウズCEは先述のデジタル家電のOSとしての位置づけを確保 できるかどうかの瀬戸際にある。 これまではパソコンとOSという入り口でしか、メールやインターネットへのアクセス はできなかったが、ポケットボードや携帯電話のようにパソコンがなくても誰でも気軽に モバイルが可能になってきた。さらに昨年発売され、現在も好調なNTTドコモの「iモ ード」は片手でのメールとブラウジングを可能にした。まだまだパソコンの販売は好調で はあるが、徐々に通信インフラ技術の主導権は変わりつつあるといえる。 技術の主導権を奪われたその瞬間からハイテク企業の凋落は始まる。その顕著な事例が かつての盟友「IBM」である。IBMは 1980 年代末のダウンサイジングの遅れにより技 術的なリード力を失い、わずか数年で赤字に転落してしまった。 このような競争状況は、強固なパートナーであるインテルも同様で「AMD(*)」との 激しい競争にさらされ、主導権を奪われつつある。これまで業界をリードしてきたビッグ 2はこの世紀末、非常に厳しい競争環境にさらされることとなった。 copyright (C)2002 JMR Lifestyle Research Institute,Ltd all rights reserved 4 戦略ケース こうした競争事情もあり、先述の「企業分割」についてはアメリカ国内では異論も出始 めている。しかしこれはマイクロソフトにとっては屈辱的な声でもある。 * AMD(Advanced Micro Devices,Inc.) アメリカのカリフォルニア州に本社を持つチップ・メーカーで、ウィンドウズ互換のP Cプロセッサではインテルに次ぐメーカー 主要ブランドの「AMD-K6」はインテルの「ペンティアム」と世界最速競争を展開 している 3.21世紀への勝ちパターン模索 こうした厳しい環境化において、21 世紀も大帝国は勝ち残っていけるのか。現在マイク ロソフト内部は慌ただしく動いている。焦点は「パソコンを介在しないネットワーク環境 への適合」にある。 (1)デジタル・セットトップボックスの開発 現在マイクロソフトが最も重視しているのは最大手通信会社「AT&T」と取り組んで いる「デジタル・セットトップボックス」の開発プロジェクトである。セットトップボッ クスとは、テレビ受像機にケーブルテレビやインターネットに接続する装置である。これ を取り付ければ、単にチャンネルを選択するだけでなく、オンライン・ショッピングやチ ケット予約、外部データベースへのアクセスなど、テレビを使った双方向情報通信が可能 になる。このプロジェクトではビル・ゲイツ自らがAT&TのCEOマイケル・アームス トロングと定期的に会合を持ち、両者の提携を推進している。 (2)NTTドコモとの提携 1999 年3月にマイクロソフトはNTT移動通信網(NTTドコモ)との提携を発表した が、具体的なものはなにひとつなかった。1999 年 10 月、その第一段として、ビジネスユ ーザーをターゲットとしたモバイルデータ通信サービスを提供する合弁会社「モビマジッ ク」(資本金2億円、従業員約 10 名)の設立を発表した。 この記者発表会において、マイクロソフトのスティーブ・バルマー社長(当時)は「パ ソコンが消えてなくなることはない」と前置きしながらも「だれもがワイヤレスで情報に アクセスしたいと考えている。PDAや携帯電話へと市場のすそ野が広がっていく"PCプ ラス"の時代がやってくる」と語っている。同時にバルマー社長は「Information Anytime, Anywhere,Any device」という新しい理念を掲げた。これはビル・ゲイツ会長も講演会の 場でも語っており、パソコンを前提としないネットワーク時代の到来を見据えたマイクロ ソフトの新しい方向性を示していると考えられる。 iモードという今後有望なプラットフォーム技術を持つNTTドコモとの提携はそうし た将来を見据えたものである。 copyright (C)2002 JMR Lifestyle Research Institute,Ltd all rights reserved 5 戦略ケース (3)次世代ゲーム機への参入 現在では正式発表はないが、マイクロソフトではプレイステーション2のライバルとな る次世代ゲーム機「X-Box」の開発が進められている。X-Boxは、DVDドライ ブ、56Kbpsモデム、1GHz程度のCPU、64MBメモリ、4GBハードディスクを 搭載し、ウィンドウズ系のOSを採用するとし、価格は 149 ドル(約1万 6000 円)程度に なるという。正式発表は最もインパクトの高い「プレイステーション2」の発売日近くと されている。 かつて、OS戦争で「アップル=マッキントッシュ」、ブラウザ戦争で「ネットスケープ」 を駆逐したように、次世代ゲーム機でも「ソニー=プレイステーション2」をターゲット とした激しい競争が展開されると思われる。事実今回のウィンドウズ 2000 の発売日は「プ レイステーション2」のWeb予約開始とぶつかっている。どちらが仕掛けたのかは定か ではないが、すでに戦いは始まっている。 そして創業者が動いた。ウィンドウズ 2000 の発売を目前にした1月 23 日、マイクロソ フトの会長兼CEO(最高経営責任者)ビル・ゲイツはCEO退任を発表した。CEOの 座をスティーブ・バルマー社長に譲り、自らは会長の地位にとどまる一方で、新たに設け られた「ソフトウエア設計最高責任者(CSA)」に就任した。 「コンセプトの創造」と「ソ フトウエア開発」を手がける立場に就いたのは危機感の表れである。 プレイステーションやドリームキャストなどのゲーム機やiモードなど、パソコンを介 在しないネットワーク環境の整備が着実に進んでいる。パソコンをベースとして、その中 で起動する「OS-アプリケーション」での優位を背景に自らが業界のルールとなり、大 帝国を構築してきたマイクロソフトにとっては、いかに現在の勝ちのパターンを維持し、 それと並行して新しい勝ちパターンを作っていくかという分岐点に立っている。 1990 年代、世界で最も成功したとされる大帝国とその創業者である世界一の億万長者は、 21 世紀もそのポジションを確保し続けられるかどうか、真価が試されている。 参考図表1 マイクロソフトの会社概要 アメリカ本社 日本法人 本社所在地 アメリカ ワシントン州 東京都渋谷区 設立年月日 1975年 (1986年株式公開) 1986年 売上高 2兆1,330億円 (99年6月期) 1,690億円 (99年3月期) 事業内容 従業員数 コンピュータ ソフトウェアおよび関連製品の 営業・マーケティング 27,000名 (99年3月現在) 536名 (99年3月現在) 出所:マイクロソフトホームページより copyright (C)2002 JMR Lifestyle Research Institute,Ltd all rights reserved 6 戦略ケース 参考図表2 マイクロソフトの売上・純利益の推移 1990年6月期 全世界の 売上高 社員数 (億ドル) 5,635 11.8 純利益 (億ドル) 147.0% 2.8 成長率 成長率 163.0% 1991年6月期 8,226 18.5 156.8% 4.6 165.9% 1992年6月期 11,542 27.8 150.3% 7.1 152.9% 1993年6月期 14,430 37.9 136.3% 9.5 134.6% 1994年6月期 15,017 47.1 124.3% 11.5 120.7% 1995年6月期 17,801 60.8 129.1% 14.5 126.1% 1996年6月期 20,561 90.5 148.8% 22.0 151.7% 1997年6月期 22,232 119.4 131.9% 34.5 156.8% 1998年6月期 27,055 152.6 127.8% 44.9 130.1% 1999年6月期 31,575 197.5 129.4% 77.9 173.5% 出所:マイクロソフトホームページより 参考図表3 マイクロソフト(日本法人)の売上推移(億円) (億円) 2000 1,690 1,586 1,460 1500 980 1000 490 500 66 90 90 91 127 205 92 93 290 0 94 95 96 97 98 99(年) 出所:マイクロソフトホームページより copyright (C)2002 JMR Lifestyle Research Institute,Ltd all rights reserved 7
© Copyright 2024 Paperzz