2014年 6月 文化を伝える

2014年
6月 10 日
第 267 号
発行所 石 井 記 念 友 愛 園
宮崎県児湯郡木城町椎木 644 番地
ゆうあい通信
〒884-0102 ℡ 0983-32-2025
文化を伝える
園長 児嶋草次郎
6月2日の夜 11 時頃に子牛が生まれました。気になり牛舎に行ってみると、
ちょうど生まれ落ちた時で、全身粘液におおわれた体を必死に動かしていました。
ところがその場所は隣の牛房であり、母牛は柵の向こうから心配そうに見下ろし
ながらしきりに啼(な)いています。
出産の時、牛房をしきる柵の方にお尻を向けていたようで、柵の間から隣に落
ちてしまったのでしょう。隣の牛房では先々月に生まれた子牛とその母牛がウロ
ウロしており、踏みつけたら大変で、早く何とかしなければなりません。
柵は開くようになっており、まず隣り側に開いてそれをロープでもう一つの柵
側に縛りつけて隣りの母牛と子牛を囲いこみ、こちらの子牛と接触できないよう
にします。
敷草は牛舎当番の子ども達が多めに敷いてくれていたのですが、ちょうどコン
クリートがむき出しの所に子牛は落ちており、もがいても足がすべって立ち上が
れそうにありません。かわいそうにクソまみれになっています。すぐに敷ワラを
足しボロ布で拭いてあげます。母牛も柵が取り払われたので近くに来て子牛の全
身をなめ始めます。また、
「早く立ち上がりなさい」と言わんばかりに、やさし
く呼びかけるように啼き続けます。子牛もそれに答えようと踏ん張って立ち上が
ろうとはするのですが、なかなか立てません。
鳥の世界には「啐啄同時」という言葉がありますが、何度見ても感動する場面
です。母と子の命がけの絆再生の世界です。自分の足で立ち上がり、母牛の乳房
のところまで歩いて行き、自ら乳を飲まねばこの子牛の人生(?)は始まらない
のです。野生の世界では早く立ち上がらないと肉食動物に襲われるリスクも高く
なっていきます。
私が来るまでの間にじたばたしてエネルギーをかなり使ってしまったのかも
しれない、などという思いがよぎったりしてこちらも不安になります。隣の牛房
にころがっているわけですから、早く立ち本来いるべき所に帰ってほしいのです
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が、子牛は途中でウトウトしたりして、結局ヨタヨタと歩き始めるまで2時間ほ
どかかってしまいました。
翌日には、元気よく鼻先で乳房を突き上げながら乳を飲む姿が見られるように
なり、子牛の生命力の強さというかたくましさに改めて感動させられました。こ
れが本来の動物の世界の姿です。しかし、その一連の行動パターンのすべてはD
NAの中に組み込まれているのでしょう。
一方の我々人間はどうなのでしょう。今、「宮崎日日新聞」で繰り返し報道さ
れる、連鎖する子どもの貧困の現状を告発する記事を読んでいると、暗澹(あん
たん)たる思いに落ち込んでいきます。神は人間には母牛のような大きな愛情は
与えてないようだし、また子牛のような強さ、たくましさも与えてはいないので
す。人間は、その知恵や愛情を子育て文化として人から人に伝えていくしかない
のです。しかし、その文化の伝承が断絶した時どうなるのか。恐ろしいことが起
こり始めます。様々に報道される児童虐待は、もう個々人の責任というより子育
て文化の崩壊としてとらえるべき時に来ているのかもしれません。文化の再構築
のあり方をみんなで考えなければなりません。
さて、話は少し飛びますが、石井十次文化を次世代にどう伝えていくのかとい
うことも私達にとっては大きな課題です。石井記念友愛社がスタートしたのは昭
和 20 年ですが、石井十次が亡くなり 30 年以上、また岡山孤児院が解散して 20
年という年月は、その築きあげようとした文化が崩壊していくには十分な時間で
した。文化の再構築をめざしてからも 70 年近い年月が経っており、石井十次か
らははるかに遠くに来てしまっています。とは言っても今年は石井十次没後 100
年という大きな節目であり、その残されている言葉に現代に合った解釈を付け加
えながら、次の世代の人々に伝えるべく努力していかねばならないと、今考始め
ています。今回は三つの言葉を取り上げてみます。
①「天は父なり人は同胞なれば互いに相信じ相愛すべきこと」
この言葉は現在石井記念友愛社の「理念」となっていますので、度々取り上げ
ています。一番問題になる部分は「天は父なり」の部分です。石井十次にとって
天父と言えばキリスト教の神様のことです。しかし晩年は二宮尊徳の思想にかな
り傾倒し、東洋的な天をも意識し始めます。「天は父なり」の天は、西郷隆盛の
「敬天愛人」の天とほぼ同じ意味として使われていると、私は解釈しています。
『石井十次の生涯と思想』を書かれた柴田善守氏は、次のように書いています。
「石井が少年時代に受けた儒教教育と生涯最大の尊敬をささげて惜しまなかっ
た西郷南洲の『敬天愛人』の思想が、二宮の思想を通してよみがえったのであろ
う。」つまり「天は父なり」とは、この大自然をも内包する天を、父として畏れ
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敬えということ。
大自然を支配・コントロールできるとする西洋人的発想が、3年前の東北地方
の大震災をさらに大きな人災にしてしまったのですが、「天は父なり」とする感
性は、日本人として次の世代にも伝えたい精神文化です。
ちなみに、石井十次はこの言葉を、岡山の石屋に行って大理石に刻ませ、現在
は、友愛社の静養館の壁にその大理石ごとはめこまれてあります。
「天は父なり人は同胞なれば互いに相信じ相愛すべきこと」、この言葉は、私
達が思いあがらないために、そして互いの人間としての尊厳を尊重し合いまた個
人主義に片寄らないようにするために、常に自らを戒める言葉として、また自ら
を鼓舞する言葉として座右に置いておかねばならないと考えています。
② 「幼児は遊ばせ、子は学ばせ、青年は働かせる」
石井十次は、
「時代教育法」を明治 30 年に考えるのですが、次のように説明し
ています。
・10 才未満の児童は、茶臼原で自由自在に遊ばしめる。
・10 才から 15 才の少年は、岡山に連れ帰り、学校教育を受けさせる。
・10 才から 20 才の青年は、院内で実業教育を授け、農工商に奉公させる。
100 年以上前の話であり、教育制度も変っていますので、当然このままの形で
伝えるということはできません。この中の何が大事なのか。まず幼児は茶臼原の
大自然の中で自由自在に遊ばせるという考え方です。私はこれは感性の教育とし
てとらえています。
子牛が母体から生まれ落とされても自らの力で立ち上がり、自らの足で母牛に
近づき乳を飲めるような、力も感性も人間の子には備えられてはいないのです。
ほとんどすべての力や知恵や感性は、生活の中でまず遊びをとおして身につけて
いきます。
先人達は三つ子の魂百までとうまいことを言いました。生まれてから3才まで
の教育が非常に大事だということです。学校教育だけが教育ではなく感性をみが
くことも、知識ではなく知恵を獲得していくことも、挨拶・礼儀などを含めた生
活習慣を身につけていくこともすべて本来教育なのでしょう。そういう意味では
0才から教育は始まっています。
石井十次友愛社では、保育園 10 か所において多くの子ども達をおあずかりし
ているわけですが、この「幼児は遊ばせ」の意味を厳粛に受け止めていかねばな
りません。自らの足元はなかなか見えにくいですので、比較しながら振り返って
みます。今まで5例ほど、町立保育所を民間移譲で石井記念友愛社で経営させて
いただくようになりましたが、次のような例がある所で見られました。庭にビリ
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という砂利が敷きつめられていたのです。これでは子ども達は裸足になって走り
回ることはできませんので、取り除いて芝を張り砂を敷きました。手入れするの
が大変だからでしょうか、庭木が極端に少なかったので、四季折々花を楽しむこ
とのできる木々を色々と植え足しました。また、面倒だからなのかあまり散歩に
もでないようでしたので、できるだけ外に出て地域の方々と触れ合ったりするよ
うにしました。石井記念友愛社では、特にお年寄りとの交流を大切にしなければ
ならないという考えでやってきました。
教育は小学校から始まるのではありません。幼児の時代は人生において一番大
切な時期。遊びの中に、より良い自然環境、より良い人的環境を与えるべく努力
していかねばなりません。
③ 「親は働き、子は学べ、三代目には小作人が地主となる」
石井十次が最後に到達した教育論で「三代教育論」と言います。石井は最初の
頃は教育の力を妄信していました。一代にして有用な人物に育てあげてみせると
意気込んだのです。ところが、子どもは思うようには育ってくれないのです。生
まれ持つ能力、資質があるし、生育歴があるし、背負っている荷物もあります。
そこで石井は、まず、真面目に働く人間を育てようと考えを改めたのです。そう
すれば、その人間は自立し、やがて家庭を持ち我が子に教育を授けるようになる。
そして、三代目にして理想とする人物ができる、そう見通したわけです。
教育は 100 年の大計と言いますが、なるほどそうだと、私は現場で悩みから
解放された気がしました。あまり高望みしてはいけないし、焦ってもいけないの
です。人様の迷惑にならない真面目に働く人間に育てること、これが子育てにお
いては基本でしょう。
多くのニートや孤立無業者がその親御さんとともに苦しんでいます。それらの
中には精神的な疾患を背負っている方も少なくないとは思いますが、親の期待に
答えきれず自信喪失から閉じこもっているとすれば不幸なことです。
これらの三つの言葉は、私達石井十次に関係する者達は、石井十次の言葉とし
て受取っていますが、実は、私達日本人の先人達が大事にしてきた精神文化・子
育て文化ということもできるでしょう。
人間は動物達のように、本能によって育てられるわけではありません。互いに
同胞として信じ合い愛し合い、伝え合い助け合う中で育てていくしかないのです。
それに失敗したらもう日本の未来、あるいはこの地域の未来はありません。目の
前の子ども達は未来そのものなのです。日に日に力強く成長していく子牛をみつ
めながら、自らにそう言い聞かせています。
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