第 6回 : 医療の質

JOMF NEWS LETTER
No.253 (2015.2)
アメリカでの医療のかかり方
第6回 : 医療の質
海外出産・育児コンサルタント
Care the World 代表
ノーラ・コーリ
【 医療費が高いわけ 】
前回ではアメリカの高い医療費についてお話し、その高い医療費をどのように賢く支払
ったらよいかについてアドバイスをしました。今回はなぜアメリカではこれほどに医療費が高
くなったのか、年間一人当たり医療サービスに費やされた金額が 85 万円(OECD Health Data
2013)というその背景には何があるのか、について探ります。
【 起訴の文化 】
医療上の事故やミスは起こる可能性があります。日本ではたいてい病院側と患者との間
で示談交渉という形で和解成立し、丸く収める傾向が強いと聞きます。よほどの重大なミスで
ない限り、患者は病院側を訴えることはあまりないと言います。そもそも患者は医師に対して
「先生、お任せします。」とすべてを委ねる慣わしがあります。
アメリカは起訴の文化があります。たとえば分娩中に産婦人科医が正しい判断を下さな
かったがゆえに子どもが障がいを負うことになった、外科医が患者を間違えて手術を行った、
ナースが患者に間違った注射をしたなどのケースは訴訟として対処します。医師と患者家族と
の話し合いなどはほとんどありません。このような事件は慰謝料や賠償金を請求するチャンス
だと見る患者もいるほどです。
弁護士はできる限り医療者側の過ちで証拠保全となるものを探します。その結果、医療
者側のミスが見つかれば、損害賠償請求をし、何千万円あるいは億単位というように家が建つ
ほどの金額が患者側に支払われます。弁護士はたいていその額の30~40パーセントほどを
報酬として受け取ります。
医療者側は訴えられたら、時間、労力、資金を奪われ、医療業務の遂行にも影響します。
万が一過失が認められたら、被害者に損害賠償金を支払わなくてはならないばかりか、医師で
あれば業務停止処分を受けたり、医師免許すら失うかもしれません。
そのようなことから万が一訴えられた場合を想定して、彼らは医療プロフェッショナル
の賠償責任保険に入っています。患者と関係を持つ医療従事者はすべてと言ってよいほどこの
保険に入っています。私も大学院でインターンとしてカウンセリングをしていた時でさえ、患
者と直接かかわっていたので、例外なく医療事故保険に入らされました。
患者とかかわりのある医療従事者とは、麻酔医、歯科医、外科医、産婦人科医などの専
門医を含むすべての医師を始めとし、看護師、レントゲン診断医、血液検査師、薬剤師、など
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に至ります。また病院や検査機関などの医療機関も施設賠償責任保険に入っています。産婦人
科医などはもっとも訴えられる率が高いため、彼らの賠償責任保険は特に高く、毎年何千万円
という保険料を払う医師もいるほどです。そしてその保険料がどこから支払われるのかという
と当然患者にその負担が回ってくるわけです。
【 高いスタンダードがある 】
医療費が高いもう一つの理由はアメリカの高い医療スタンダードでしょう。まず医療
従事者に焦点を当ててみましょう。医師について言えば、大学、大学院、さらにはレジデンス
(研修医)というトレーニング期間を通ります。さらに医師免許を取得するのにもまず国家試
験を受け、それに合格しても州ごとの医師免許を申請しなくてはなりません。そこには書類審
査があり、時間がかかり、それなりのコストがかかります。州の免許を得たらそこで安心でき
るかというと今度はその医師免許を維持するのに何年かに一度は更新しなくてはなりません。
そして更新をする条件として最新知識を得るためのトレーニングを受け、その試験にも合格し
なくてはならないという条件があります。このように彼らが資格を維持するためのコストも医
療費に含まれています。
次にアメリカの検査についても
高い基準があります。ある病気が疑われる
とこれこれの検査を行うようにというガ
イドラインがしかれています。医師側とし
ては必要でないと思う検査でもそれをし
なかったことで患者に後日訴えられるこ
とを恐れてそれらの検査もします。また、
検査が多ければ多いほど病院側が儲かる
仕組みにもなっています。このようなコス
トも患者に回ってきます。
ハイテク技術を駆使した小児病院の緊急治療室
しかし、これらのある一定基準に達した医療サービスが期待できるということは
医療を利用する側からすると安心につながります。それは医療者が常に最新の医療情報を
得て治療に当たっているという安心です。検査機器にしても、スタンダードが保たれてい
るからその検査結果を信用することができます。
【 専門性がわかれている 】
アメリカの医療費が高い次の理由は医療にかかわる人たちの専門が分かれているこ
とです。外来でドクターに会うにしても、玄関の受付、各科の受付、一般ナース、さらにアシ
スタントを得てやっとドクターに会えます。このアシスタントはその科に関しては専門なので、
ドクターに伝えたい同じことを伝え、ほとんどの質問に答えてくれます。昔は一人の患者に対
してもっと時間的余裕があったのですが、最近では病院利益のためにドクターが一人の患者に
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かけられる時間が限られるため、アシスタントが誕生しました。検査でも、まず検査機器はそ
れを操作する専門技師によって行われ、さらに専門医によって診断され、検査機器は維持専門
の技師によって管理されます。
入院となるとその専門性はさらに細分化されます。まず車いすを押してくれる人、病
室に入ると食事のメニューを持ってきてくれる人、食事を運ぶ人、シーツを替える人、掃除を
する人、と次々に人が入れ代わり立ち代わり入ってきます。ナースにしても担当ナース、包帯
などを替えるナース、薬担当のナース、とこれまた役割りに応じたナースが出入りします。手
術となると担当医、研修医、麻酔医、ナー
スなどチームが組まれます。他にも栄養士、
リハビリスタッフ、退院間近になると支払
いの件でスタッフが請求書について説明
に来たり、帰宅後介護が必要な場合は病院
のソーシャルワーカーが現れたり、ボラン
ティアの人が話し込みに来たりとこれま
たさまざまな人たちが病室を出入りしま
す。このように医療費は人件費にも回りま
す。
小児病院のナースと共に (筆者右から4人目)
他にも病院は膨大な書類の事務処理を行うスタッフを多くかかえています。カルテを
管理する部門、医療保険の診療報酬を請求する部門などがそれに当たります。さらに注射針な
ど一般ごみには捨ててはいけない危険なものを専門に処理する会社にも委託しています。患者
が診察を受ける時に着るガウン、シーツや手術着などは病院内で洗わず、消毒などに関して厳
しい管理が行き届いた専門のクリーニング会社に委託しています。医療費にはそれらの業者へ
の支払いも含まれているわけです。
【 患者の尊厳が保たれている 】
確かにアメリカの医療はビジネスです。だからこそ医療費を払う患者に対する扱いに
は細心の注意が払われています。病院側ではすべてのスタッフを教育し、マニュアルを与えま
す。そのトレーニングをするために病院は専門インストラクターを外部から雇います。ここに
も隠れたコストがあります。
日本では医師は「えらい人」とみられて尊敬され、それに甘んじている医師も中には
おります。しかし、アメリカの多くの医師は患者に対してたいへん低姿勢でリスペクトをもっ
て接します。医療行為を説明するにあたっても、動作一つ一つを丁寧に伝え(ガーゼで拭きま
す、注射をします、はい、終わりました)、患者の心情にも気を配ります(まだ痛いですか、
どんな気持ちですか)。最後には、「質問はないか」と必ず確認をしてから患者を送ります。
ドクターの中には患者にドアを開け、感謝の意を伝える人もいるほどです。
病院を会社にたとえると、会社の利益追求のためにやはり集客に努めるしかないわけ
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です。そのためにはよいドクターを集め、スタッフ全体の質とサービスの向上に努め、患者の
満足度を高めるようにするわけです。そのため病院側では定期的に患者へのアンケートを行っ
ています。たとえばドクターに関してはきちんと自己紹介をしたか、治療に関して納得できる
ところまで説明したか、最後に「質問はあるか」と聞いたか、と事細かに評価項目が並べられ
ています。治療結果もさることながら、患者から悪い成績を出されたドクターはその病院に勤
め続けることができなくなるわけです。
【 やはり最高の医療 】
アメリカの医療はやはりお金をかけたからこそ、最高の水準に達したと言えるでしょ
う。それは電子化されたカルテを始め、遠慮なく使われる使い捨ての医療器具、最新のハイテ
ク医療機器や検査機器、常にアップグレードされる建物やインテリアにも表れています。古い
オフィスを構えている診療所は患者が集まらず、どんどん経営不振に陥り、閉院されるか吸収
合併されていきます。生き延びるのは「医療はビジネス」をかかげたグループ診療を行ってい
る大手だけになってきています。これらの医療団体では患者の声に耳を傾け、患者が何を病院
に求めているかを事細かに調べ、患者のニーズを第一に組み込んだサービス提供を心がけてい
ます。
そしてアメリカは資本主義の国であるからこそ裕福な人たちを対象にその医療のス
タンダードを高めてきたわけです。そしてそのスタンダードが上がるにつれ、保険料も上がっ
ていきました。その保険料は裕福な人にとってはすずめの涙ほどでも、それがベースとなって
しまった今、庶民にとって給料の半分というほどの額に膨れ上がってしまったのでしょう。
さらに薬の自由な価格設定も医療費に影響します。製薬会社は自社独自の値段をつけ
ることができます。テレビのコマーシャルでも雑誌でも薬の宣伝が多いのには驚きます。製薬
会社はドクターと提携して、薬のサンプルを出します。そうなりますとおのずと高い薬を購入
するシステムができあがってしまうのです。
最後にアメリカではドクターの判断で診察料を設定できるということも伝えたいと
思います。この点も点数制度を取り入れている日本との大きな違いだと思われます。つまり日
本では総合病院などで同じ盲腸の手術にしても院長クラスの外科医が行うのも、研修医が行う
のも病院が保険機関に請求する報酬は同じと聞きます。しかし、アメリカではある程度のガイ
ドラインがあるにしろ、基本的にはドクターが請求額を設定できます。この診療に対する自由
価格設定も医療費を上げたと言えるでしょう。実際払える人は払えるのですから、富裕層だけ
を対象に経営し、報酬の少ない国の保険は扱わないドクターもいます。
【 まとめ 】
アメリカではこのようにソフトの面でもハードの面でも最高の医療を身近に受けら
れる環境にありながら、実際には日本の三分の一(OECD Health Data 2013)の人しか病院には
行っていません。これはまだ多くの人が安心して医療にかかれないことを物語っています。結
局庶民は健康維持を心がけるしかありません。アメリカは先進国と言われていますが、安心し
てかかれる医療が確立した国こそ先進国と言えるのではないかと思われるのです。
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No.253 (2015.2)
これでアメリカの医療事情シリーズは終わりますが、これも氷山の一角だと思ってく
ださい。自由の国アメリカでは自由がもたらす医療にまつわるさまざまなエピソードがまだま
だ山ほどあります。
編集部より:
今回は、利用者目線からのアメリカの医療という今までに取りあげていなかったテーマで執筆
いただきお届けしてまいりました。ここでは紹介されていない「さまざまなエピソード」も
気になりますが、渡航先での医療にかかわる話題は今後も引続きお届けしていきたいと思いま
す。
ノーラさんには別のシリーズで近く登場していただく予定です。