東カナダ(ノバスコシア州、ニューファンドランド州)の紹介 私は 1977 年~1982 年仕事の関係で東カナダに在住してました 当時の記憶をたどり東カナダを紹介いたします。 (1) ハリファックス(ノバ・スアコシア州) ハリファックス (Halifax) は、カナダ連邦にあるノバ・スコシア州の州都です。 飛行機でニューヨークから 3 時間、トロント、ボストンから 2 時間の距離。 人口約 35 万人、カナダ大西洋岸地方最大の文化・経済の中心都市となっている。 ブリティッシュコロンビア州・バンクーバーに次ぐ第二の沿岸人口集中地域。また大西 洋岸諸州全体の人口の 15%を占め要塞のある港町で、漁業関係、商社など日本企 業も進出している。 天然の港としてはオーストラリアのシドニーに次ぐ世界で二番目の規模で、冬でも凍 らない港でカナダ海軍の本拠地でもある。 比較的治安がよく物価も安い。 またタイタニック号沈没ポイントからもっとも近くタイタニックを救出したことでも知られ、 ハリファックスの海洋博物館には実際のタイタニックから引き上げられたものが展示さ れ、犠牲者が埋葬された墓地などもある。 ハリファックス港 ハリファックス市内 ふだんは静かな町も夏場は、大型の豪華客船が寄港し多くの観光客 で賑やかとな る。 ハリファックスの観光名所 ハリファックス・シタデル(Halifax Citadel National Historic Site):ハリファックスの中心部にある、壮 大かつ伝統のある要塞跡で現在残る要塞は、1856 年に再建された 8 つの頂点を持った星型の城塞。 星型の要塞の縁で五稜郭がある函館市とハリファ ックスは姉妹都市となっている。 ペキース・コーブ(Peggy's Cove):人口 120 人の美しい小さな海辺の村で景観保護 区になっている。ノバ・スコシア州で最も人気のある観光地の一つでハリファクス市内 から車で約 30 分。小さな土産店で安い価格で出してくれる「クラム・チャウダー」スー プは格別で忘れられない味のひとつ。 仕事の内容: ・漁網綱及び漁業関連機器の販売 北米大西洋岸は世界でも有数の大陸棚を持つ漁業大国。 特に鱈、鮭、イカ、海老、にしん、蟹等の宝庫。 ノバ・スコシア(N.S)、ニュー・ブランズウイック(N.B)、及びプリンス・エドワード・アイラ ンド(P.E.I)の東カナダの各州とそれに隣接するアメリカ東岸のメイン州 ~ ロード・ア イランド州の漁業関連の代理店や卸売業者へ漁網綱、関連機器等の販売。 当初は日本の近代漁業に使用されていた漁具をカナダ政府の水産局経由で紹介さ れ試験操業を重ねて徐々に一般の現地漁業者にも使用されるようになった。 この水産局には毎年必要予算を組んでいただき関連プロジェクトが数年続いていた。 また試験操業は日本からプロの漁業者が派遣され指導にあたり現地漁業の発展に 寄与した。 しかし時代とともにこの分野にも韓国、台湾等の安価製品が台頭するようになり、 我々の役目も終結を向かえることとなる。 ・畜養鮪 前述のペギース・コーブ地点から入り込んだ湾がセント・マーガレットベイ と呼ばれ私 共の仕事の拠点としていた場所の一つです。 セント・マーガレット湾 位置的には緯度が北緯 44 度で北海道の旭川あたり。 フィヨルドほどの規模はないが、氷河によって削られたコーブ(cove)と呼ばれる小さい 入り江がたくさんあり地名にも…..cove と付くのが多い。早朝には入り江との温度差 により“もや”が出ることが度々で幻想的な眺めとなる。 セント・マーガレット湾で行われたプロジェクトは世界でも初めての試みのクロ鮪の養 殖=畜養鮪でした。 2月頃メキシコ湾で産卵を終えヤセ細った大西洋鮪が餌を求めアメリカ大陸東岸を北 東上し、ハリファックス沖に達する。 ニューヨークからハリファックス沖にかけての海域では、昔からクロマグロを対象にし たスポーツフィッシングが盛んであったが現地では刺身を食べないため、ほとんど捨 てられていた。 この環境下、湾内で操業する定置網漁業者と契約し彼らの網にかかる体長 2m 程の 鮪を生きたまま買い付け(5~6月)、日本から持ち込む生簀網に囲い給餌し太らせ脂 の乗ったところで 10~11 月頃に日本へ空輸する。 ニューヨークまで陸送され、到着次第すぐのフライトで翌朝には築地でせりにかかる。 安定した数量(本数)を出荷できるようになる迄の数年間は試行錯誤が続いた。 鮮度/品質を保ち、尐しでも高値をもらうため築地からその道のプロも参画した。 畜養まぐろの味は天然まぐろのそれには敵わないものの、築地に各地から集まる本 数と相場を見ながら出荷本数を調整できる強みをもっている。 日本から持ち込む生簀網(大きさは様々だが直径 50~100m)を買い付け契約する現 地漁業者の定置網にトンネル網を付けて設置(繋ぐ)される。 設置場所は毎年大体同じ 6 ~ 7 箇所で、30 ~50 匹/生簀であったと記憶する。 夏場には湾に隣接するキャンプ場に多くの観光客が訪れ、地元自治体からの要請も あり給餌体験を目的とした“観光生簀”も設置されていた。 毎年買い付けの始まる5月には生簀網をセットし畜養を担当する十数名の技術者が 日本から集結し、すべて出荷し終わる10月まで共同生活が行われる。 毎年賃借りする家は同じでシーズン中寝食を共にする。 現地雇い(7~ 8 人)の作業者もほとんど毎年同メンバーで息の合ったチームが出来て いたと思う。 5 月頃買付ける時点の体重は 100~150kgs が出荷時は 300~400kgs にまで太る。 餌はイカ、サバ、ニシンでこれ等を如何に潤沢に確保するか。 出荷時、鮪の体温を下げるための氷を必要とするが湾近辺には製氷工場はなくその 都度ハリファックスの隣町のダートマスから如何にタイムリーに確保するか等々。 様々な課題が有ったが築地で尐しでも高く落札されることだけを願いシーズン中の業 務に当たっていたと思う。 (2) セント・ジョンズ (ニューファンドランド州) ニューファンドランド(以降 NFLD)は北米の最東端に位置し、面積 111,000km2 世界では 16 番目、カナダでは 4 番目に大きな島で北海道の 1.5 倍ほどあるので、島と いう感じはしない。北米と欧州の航空路の中継点ともなっている。 人口約 500,000 人。 NFLD の魅力は、ほとんど手付かずのまま残されている大自然。 NFLD 住民は「NFLD イングリッシュ」という英語の方言、及び「NFLD フレンチ」というフラ ンス語方言を話し慣れないとほとんど聞き取れない。 セント・ジョンズ(ST.JOHN’S)は NFLD の州都で人口約 150,000 人。 緯度 47 度で釧路と同じ位、カナダを横断するトランス・カナダ・ハイウエイの東端。 ハリファックスから飛行機で 1 時間。 市内は坂道の多い港町で第二次世界大戦では軍港として機能した場所でもある。 カナダの大都市の中で、セント・ジョンズは最も日照時間が尐なく(年 1,497 時間)、最も 霧が多く(年 124 日、世界一霧の深い街としてギネス認定されている。)、最も風が強く (平均 24.3 km/h)、最も雪が多く(最大積雪記録・359cm)、最も降水量が多い(年 1,514mm)町である。しかし冬はカナダの他都市に比べてそう厳しくなく、むしろ穏やかで ある。気候は海洋性気候で、夏は涼しく、冬は比較的厳しくない。一方、大西洋に突き出 した位置にあるためハリケーン、や巨大低気圧などの通り道となりやすい。 この霧の影響で飛行機の離着陸に影響がでて出張時には出発できなかったり、帰って これなくなることがちょくちょく有った。 霧の中から無事着陸した時は搭乗客の大きな拍手と歓声が沸くのも名物の一つ。 夜間、高速道路(ハイウエイ)で霧につかまると数 m 先の視界が無くなるため黄色のセ ンターラインを頼りに下向き走行というやつで非常に危険。走行中に道路を横断するム ース(体長 2 ~ 3m, 体重 200kgs 以上の平らな角を持つ大型鹿)に激突し車が大破する という記事を何度も新聞で読んだ。 冬は降雪多く“スノー・ストーム”と呼ばれるものが度々あり、夜中に一回そして朝出勤 前にもう一回雪かきをしないと車を出せなくなる。 日中でもドライブ中その雪で四方の視界がまったくゼロになりここで遭難?するのかと 恐怖を感じたこともあった。 冬季は車のトランクにはスコップ、袋詰めの岩塩、凍りついたウインドーをガリガリ除氷 するヘラが必需品となる。 日本のように四季というものは無くいきなり冬がきて、いきなり夏がくるという感覚。 住民は短い夏をむさぼるように太陽を体いっぱいに受け止め楽しむ。 セント・ジョンズ市街 ← シグナル・ヒル 街の全景を見渡せるシグナル・ヒルは 18 世紀の初頭から軍事的に重要視されていた丘 で 1901 年にヨーロッパから送られた無線を初めて受信した場所としても知られる。 産業面では水産業と海底油田・ガス田関連産業が挙げられるが、水産業を見ると当時は 鱈、蟹、海老等が盛んで日本からもイカ、シシャモ、ニシン等の買い付けで数尐ない市内 のホテルが日本人だらけということもあったが、近年では乱獲が原因か年々その水揚げ 高は激減し、漁業中心の経済の沈滞で人口減尐が続いてると聞く。 一方、観光面では他州や海外からの旅行客はそれほど多くはないが、おおらかで素朴な 情緒溢れる土地がら観光業などの発展を期待したいところ。 毎年初夏には巨大な氷山を見ることができる。氷山はグリーンランドから大西洋に流れ 込み海流に乗って南下してくる。 セント・ジョンズ湾の入り口に巨大な氷山が居座り、夏中天然のエアコンになったなどとい う逸話もある。 更に同時期センド・ジョンズ南方の湾周辺はザトウ鯨が集まってくる場所で、ホエール・ウ オッチングも楽しめる。 ✫仕事の内容 1)現地卸売業者、代理店に対する漁具、関連機器の販売はハリファックスと全く同じ。 扱い製品もほぼ同じだが、鱈の刺し網の扱い量がかなりの割合を占めていた。 日本製の刺し網で世界有数の漁場を結果的に枯渇同然に追いやってしまったことに対 して複雑な気持ちは否めない。 2)日本向け魚の買い付け 前述のようにイカ、シシャモの最盛期には日本の商社、水産会社、大手スーパーからの 買付人で数尐ないホテルが一杯になった。 あるホテルは現地で“スクウイッド(イカ)・イン”と言われもした。 イカは主に遠洋鮪延縄船の餌用として、シシャモは日本の食卓用に各社買い続けた。 結果、現在はイカ、シシャモともその姿はほとんど見せず静かな海となったと聞く。 現地の知人と今でも取り交わすクリスマス・カードで吉田が居た頃の活気ある街が懐か しいと言われる。 ✫その他日本からの訪問者 思い起こせば在住中、多くの訪問者が有った中で最も印象に残ってるのが NHK の「ザ・ 商社」のドラマ撮影で和田勉が率いるスタッフと夏目雅子、佐野洋他とお逢いしたことか。 美味しそうにロブスターを何皿もほお張る皆さんの顔を想い出す。 ✫余暇の過ごし方 冬季は天然スケート・リンクでスケートや近場の小高い丘でのスキー。 これでいくらかでも冬場の運動不足の解消となったか? 夏季にはゴルフ(日本のような立派なコースではないが我々ビジターでも$10 位でプレー出来た と思う)、友人等と家族を連れ知らない地方にドライブ、そしてブルーベリー採りもよく行った。結構 大き目のアイスクリームの空き容器が小一時間で一杯になり、それでジャムを造ったりそのままウ イスキーのつまみになったり。 最後に今年 33 歳になる長男はセント・ジョンズ生まれの二重国籍持ち、モントリオールの領事館 に何の届け出もせず帰国してしまったので彼は未だにカナダ人のまま? 気にしつつも年月を経てしまった。
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