港区立高陵中学校 加藤敏久

互いに心を支え合う道徳授業
港区立高陵中教諭
加藤
敏久
1 はじめに
近年、青少年による大きな事件が発生している。社会のルールを無視した自己
中心的な行為も顕著になってきた。規範意識の回復が急務だといわれているが、
中学校においては、正しいと分かっているのに迷い、行動できないでいる生徒の
現状がある。心の教育の充実が叫ばれている中で、道徳教育、そのかなめである
道徳授業に寄せられる期待は大きい。
一方で、小中学校における道徳授業についてのアンケート調査(大妻女子大
学教育学研究室・平成七年度)には、見え見えの分かり切ったことを聞く、説教
や価値の押し付けがつまらない、実際と合わないことが多い等の意見が挙げら
れている。
これらのことから、社会生活上の規範について十分に考え、互いに心を高め
支え合う道徳授業の必要性を強く感じた。私は中学三年生を対象に、生徒の身近
な課題や青少年にかかわる社会的な問題を取り上げ、それを自分のこととして
真剣に考えさせる道徳授業プログラムを作成し、実践している。そして規範を尊
重して生活することにプライドをもち、それを生活の場面で生かしながら、主体
的によりよく生きていこうとする生徒像を目指す。
2 一学期の道徳授業のプログラム
四月は本校生徒の実態と学校目標から『責任感』を題材にしたオリエンテーシ
ョンを企画し、五月以降は現代の社会的課題でもある『生命尊重』を重点化した
指導計画を立てた。
また、資料については、<1>生徒が身近に感じ、現実感を伴う内容であるこ
と<2>生徒が主人公に共感し、自分が行動する場面が想定しやすいことを目安
とし、選定および開発した。
さらに、資料や指導案を学年教員が共有して、生徒が課題に正対し共に考え
る基盤となる協力体制を確立し、三学年全体が連携してプログラムに基づいた
道徳授業を展開した。
3 規範意識を高め合う道徳授業の実践
(1)『責任感』4月=オリエンテーション「コンビニ」と「ジコ虫」
一回目の授業の導入としてガイダンスをした後、役割演技を取り入れた展開
を試みた。場面をコンビニエンスストアへ買い物に行った時の設定とし、発問は
「コンビニ前にたむろしている大勢の人、その時あなたは?」
「その人たちに声
をかけられた、その時あなたは?」の二つとした。学級のほとんどの生徒がこの
ような光景を見たことがあり、容易にイメージをつくることができた。たむろし
ている役と買い物に来た生徒役とのやりとりは臨場感があった。無視して通っ
たり、ほかの店に逃げたり、大人を呼んだりする演技をお互いに観察して、和や
かな笑いの中に、自分を振り返ろうとする生徒の意欲の高まりを感じることが
できた。
二回目の授業では、
「ジコ虫、増えてます」
(公共広告機構=AC)の広告を使
用し、自己中心的な行為と責任感について活発に意見を交換し、考えを深めた。
身近にいる「ジコ虫」を考えるうちに、自分の自己中心的な行為にまで考えが及
んでいる意見が多くみられた。
「気付かないうちに他人に迷惑をかけていると思
うので気をつけたい」
「みんなやっているからいいやではなく、自分の行動に責
任をもつ」等がその例である。生徒はこの広告をテレビや新聞で何となく目にし
ているのだが、今回の授業を通して初めて内容の意識化が進んだのである。二時
間の授業で、まず生徒の課題意識を啓発することができた。
(2)
『生命尊重<1>』5月=紙上道徳「東京新聞・殺そうとナイフ、未熟だ
った」
生命尊重についての授業を進めていくきっかけとして、東京新聞の記事「教
育を語ろう」
(5月 28 日付・バスジャック事件を知り、自分もいじめの解決策と
してナイフを買った経験を思い出すという市川市の方のもの)を使用した。保護
者にもかかわってもらえるように、家庭で一緒に考えるワークシートを配布し、
意見をまとめて学級通信に掲載した。
<1>生徒の意見・・
「ナイフを買うのはまちがっている」
「人の命を奪うような
行為は絶対にダメ」という意見と、
「自分も買ったかもしれない」
「この人が切れ
るのも分かる」という両方の意見が集まった。生徒が自分のこととして考えるよ
うになった裏付けとなった。
<2>保護者の意見・・
「大人も子どもも人の痛みが分からなくなっている」
「や
はりいじめが殺しにつながるとは驚いた」
「親にも責任がある」等の意見が多く
集まった。後日の保護者会でも、生命尊重についての活発な意見交換がなされ、
たいへんうれしく思った。
(3)『生命尊重<2>』6月=自作資料「ナ・イ・フ」
五月の紙上道徳を受けて、自作資料を作成し役割演技を用いた授業を実施し
た。人間の弱さに気付き、規範の基礎・基本ともいえる『自他の生命を尊重する
心』を養うことをねらいとした。資料は塾の帰り道に物騒な場所があり、主人公
は友達がナイフを持っているのを見て自分も買ってしまい、父にナイフを見つ
かってしまった場面でわざと終わらせた。 実際の授業では、生徒は紙上道徳
により集まったすべての意見を再度確認し、資料の話の続きや結末を想像して
から、主人公役と父親役の二人一組で、真剣に役割演技を進めた。
<1>役割演技・・父親のセリフに着目してみると、
「お前、人を殺すつもりか」
「お前まで傷つくんだぞ」
「命を何だと思っているんだ」等の前向きな声を多く
聞くことができた。
<2>生徒の意見・・なぜナイフを買ってしまうのかという発問に対して「不安
定な精神状態なので、案心を買った」
「人を傷つけることで自分は強いと思いた
い」
「人としての考えを忘れてしまっている」等の意見をお互いに聞き合い、よ
く話し合って考えを深めることができた。最終的に「世の中と向かい合い、生命
を大切にする学校や社会を自分たちの手で協力して築きたい」という意見まで
高め合った。生徒たちの頼もしさに感動した。
(4)『生命尊重③』7月=自作資料「よろこび」
一学期の最後に、自作資料を使って『生命の尊さと輝き』について学年全体
で考え、これまでの一連の学習を整理した。資料の内容は、ある女性バイオリ二
ストが難病にかかり、自殺未遂をする。一命を取り留めた彼女は、夫の「逃げな
いでくれ」ということばに生きる責任を感じ、隣人を自宅に招いて最期の演奏会
を開いた。彼女の死後、遺品の中にあったテープには、家族のために弾いた「よ
ろこび」という曲が録音されていたというものである。
自殺未遂後の彼女の気持ちを聞いたところ、
「家族の苦しみに気付いた」
「も
う一度バイオリンを弾きたい」
「命を粗末にして後悔した」
「生きることを再び決
意した」「夫への感謝の気持ち」「共感して涙が出た」等の感性豊かな、多様な意見
を引き出せた。
また、家族に残す曲を録音している時の気持ちをじっくりと話し合った。
「娘
にも命を大切にしてほしい」「命はつながっていくもの」等の意見に共感し、自他
の生命を尊重する意識がより一層高まったと考える。授業終了後の生徒たちの
充実した顔は忘れられない。
4 まとめ
一学期のプログラムを終えて、道徳授業が楽しみになったという生徒の声が
何よりうれしい。日常の学校生活においても、生命尊重を基盤とする取り組みが、
人権尊重や個性を認め合う言動につながり、望ましい人間関係を育成すること
ができた。授業で学習した内容を実際の生活場面で生かす道徳的実践力がはぐ
くまれたといえる。二学期は『正義感』、三学期は『公徳心』を重点化し、本校
全体での取り組みへと拡大していく予定である。今後も生徒の規範意識を刺激
し心を高め支え合う、充実した道徳授業の構築を図りたい。