(リセ・アンテルナショナル・ド・サンジェルマン・アン・レイ) 継承語教育

第 11 回フランス日本語教育シンポジウム 2010 年フランス・リヨン
11ème Symposium sur l’enseignement du japonais en France, Lyon France, 2010
継承語教育における古典文学教育比較
大沢由美
(リセ・アンテルナショナル・サンジェルマン・アン・レイ)
1、はじめに
パリ郊外にある公立の国際学校は、12カ国の児童・生徒が各々の継承語を週6時間か
ら8時間学ぶことのできる学校である。生徒は、最終的に高校教育過程終了資格であるO.
I.Bというバカロレアの一種(Option International du Baccalauréat)を取得し卒業する。こ
の学校で、継承語としての日本語を「文学」の枠組み(Enseignement National-Littérature)
の中で扱う教育に携わってきた。その間、さまざまな問題、課題に直面してきたが、その
中の一つ、国語科古典文学の教材の扱いについても、様々な場で議論がなされてきた。
そこで、日本語のみならず、他言語における継承語教育の場も含め、それぞれの場で、
古典文学の学習について目的・到達目標をどこに置いているか、授業はどう工夫されてい
るか、成果はどうであるか、児童・生徒・父兄はその学習をどのようにとらえているか等
について調査し、その学習の内容を決定する要素がどこにあるのか、また、それが児童・
生徒の母文化に対する文化の担い手としてのアイデンティティーの形成にどのように影響
を与えているか等を比較研究することとした。
研究の結果は初等・中等教育レベルの継承語教育における今後の一つの指針として、教育
活動に反映できるものと考える。
本発表は、その中間報告をするものである。
2、日本セクション、イギリスセクション、イタリアセクション(以下、英セクション、
伊セクションの表記も使用) における継承語教育の中での古典文学教育比較
まず前述の事項等について継承語教育の場(前述の教育機関)の3セクション(本教
育機関では、国、または言語の別によりセクションを構成する)で教師、生徒に聞き取り
調査、アンケート調査を行った。
その結果、以下のような特徴的な点が確認された。
① 日・英セクションの古典文学教育の類似点
両国セクションの古典文学教育には伊セクションには見られないいくつかの類似点が見
出せた。
まず、両セクションともに、中等教育の最終学年まで、近現代文学と古典文学のバラン
スを考慮してプログラムを作成しているという点が挙げられる。伊セクションでも高校2
年生段階までは古典文学をプログラムに取り入れているが、中等教育の最終学年でその教
材は扱わない。これは伊セクションのみでなく、他の多数のセクションでも同様である。
中等教育最終学年に古典文学作品を扱うかどうかは、それ以前の段階での文学教育の内
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容を変えるものである。伊セクション教師へのインタビューでは、教師は古典文学教育の
目標を「文化と言語の習得のため」であると断言していた。しかし、このセクションでは
最終学年でそれを扱わない。だが、その目標は、継承語教育の中で外すことのできないも
のであるはずである。だとすれば、その目標は、最終学年で古典文学教材を扱わなくとも
克服できる(別の現代文の教材で克服できる)ものだと考えられていると考察できる。逆
に言えば、日・英セクションでは、それぞれの教育目標の達成のために、古典文学教材の
学習を最終学年で行うべきととらえられていることが分かる。
次に見られた類似点は、古典文学の導入教材を小学校4年(下)
(以下上・下の表記は
教科書の上巻・下巻を指すものとする)から5年(上)の学年(フランスの学校の小学校
第7学年)から扱うこと、その際に、解説書に相当するものを補助教材として使って指導
するのではなく、作品そのものを扱う(教材を「説明」するのではなく、音読、暗唱、劇
などをして、教材そのものを「体感」したり「味わう」ことに指導の重点を置く)という
点である。
さらに、上記の教育内容を最終的に決定しているのが、両セクション共に本国の教育内
容を決定する機関であるという点も注目できる。日本セクションでは文部科学省が最終的
にそれを決定してきている。それぞれの国の教育を司る機関が、古典文学を中等教育の最
終段階で扱うことをどの程度重要と考えているかが推し量られる結果であると考えること
ができる。
以上、3点が日・英セクションのみに見られた古典文学教育における類似点である。
② 3セクション中、日本セクションだけが持つ古典文学教育における一つの目標
3セクション中、日本セクションのみが、古典文学で、時代を超えて作品の底に流れて
いる中心思想を考察することを古典文学学習の一つの大きな目標としていることが見出せ
た。それは、教材の扱い方の推移を見て明らかであった。英・伊セクションが、古典教材
そのものを学習するのに対し、日本セクションでは、古典教材を用いて最終的には現代文
の表現の練習をして、その文章の根底に脈々と流れる精神性について考察することに重点
を置いている点がそれである。そして、それこそが、母国語、母文化の理解、体得に大き
く貢献するものの一つと考えられているのである。
古典文学に流れる中心思想というものは、日本を離れて暮らす児童・生徒にとって理解
しにくいものである。それで、小さいころから順を追って少しずつ、長い時間を費やして
(もしかすると生涯にわたって学習をして)体得していくものなのだとの見解がとられて
いる。そして、それは日本文学を読み解く際の一つの大きな手がかりになっていくもので
ある。だからこそ、敢えてこの教育の場で取り上げるべきものと考えられている。つまり
日本語の継承語教育中の古典文学学習の大きな目標の一つは、この中心思想の理解と体得
にあり、それを踏まえたうえで、国の教育機関も現場の教師もプログラムの最終段階にま
で取り込んできているのである。
しかし、O.I.B 受験時の生徒の負担という点からは、再考の必要があるとの見解も持た
れている。
他の2セクションに「そのような目標があるか、もしくは、文学分析の中での扱い方と
してそれに近しい中心思想のようなものがあるか」との問いをアンケートと口頭で聞いた
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が、
「そのような中心思想はない」ということで、
「その習得が教育の目標になることは有
り得ない」という回答であった。もし、それに相当するものがあるとすれば、それは、作
家や、文化的、社会的な影響を受けての時代の状況によって変化するものであるというこ
とであった。
③ 英セクションにおけるシェークスピア作品の扱いの独自性
英セクションにおけるシェークスピア作品の扱いには、日・伊セクションに見られない
独自のものがあった。
まずは、その作品が、19世紀初め近代ロマン主義以降に「世界的古典」として絶対的
な定評を受けたものであるという確固たる自負を、国の教育決定機関のみならず、教師も
生徒も持っているという事実が挙げられる。例えば、
「欧米知識人としての必須条件」と
される作品の文章(戯曲の台詞や詩の一節)は、繰り返し朗読され、暗唱されて児童・生
徒の心身に染み込ませるように教育が行われる。それらのことは、教師へのインタビュー、
アンケートからもひしひしと伝わってきたものであり、同セクションの文学教育のプログ
ラムを見ても明らかである。児童・生徒は小学5年(下)から中等教育の最終学年までの
間に、多くて3回、最低2回、同作家の作品を演じる機会を持つ。これは、本学校のみで
なく、イギリス本国の児童・生徒も同様であり、それを決めているのは本国の教育プログ
ラム決定機関であることを同セクション教師がアンケートにて回答している。同作家の作
品が、戯曲や詩であるという特性を考慮の外に置いても、このような教育やその方法は他
2セクションには見られないものである。ただ、日本セクションで正月行事の中で行われ
ている『小倉百人一首』のカルタ大会は、それに近しい教材として挙げておくことができ
る。それは、児童・生徒が作品を中等教育の期間中少しずつでも途切れることなく「体感」
することができるという点においてである。
④ 日本セクションにおける古典文学教育の流れと、高等部での学習の目標の独自性につ
いて
日本セクションで継続的に『小倉百人一首』の学習を行うことは上記③で挙げた。イギ
リスセクションでは、チョーサー(14C)の詩を小学校6年から中学1年程度から解説書
(に相当するもの)を使わずに所々現代語に訳すのみで扱う。やや同じようなスタンスで、
日本セクションの『犬棒ガルタ』(第11、10、9学年、日本の小学校1年から3学年程
度で、お正月の遊びとして授業、行事に取り入れる)や前記『小倉百人一首』の学習(第
8、7、6 学年から最終学年、日本の小学校3年から高校3年程度で、それぞれ25首、5
0首、100首と授業、行事に取り入れる)では、その目標は、リズムや言葉の響きを
「体感」する(楽しむ、味わう)こと、現代では使われていない文字に親しむことに置か
れている。これは、文部科学省の決める学習指導要領に則った学習の段階に沿っていて、
無理なく楽しみながら古典文学教材への導入が行えるように組んであるものである。児
童・生徒はその先にある大きな目標「日本の古典文学作品の底に流れる中心思想の理解」
に最終的には取り組んでいくこととなる。ただ本校高校生の段階で、古典文学の文法事項
や語彙に関しては、日本と同等のレベルで授業を行うことは困難であるため、生徒の日本
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語の能力等を鑑みて調整している。そして特にこれが継承語教育の中で行われていること
を考慮し、文化として触れておいて欲しいと思われる作品の中心思想や語句等に関しては、
難解であっても取り上げ、考察の対象としている。
ここで特徴的なのは、日本セクションの高校生の最終段階では、古典文学作品を扱って
はいるが、どちらかというと、それをもとに論文を書いたり、分析しやすい短いテキスト
として利用するために、結局は総合的な国語力を高めるための教材として主に扱っている
ことにある。イギリスセクションのシェークスピア作品の学習が、作品そのものとそのま
ま向き合うことを目標としていることを考えれば、その違いは明らかである。これは、た
だでさえ距離的に、そして言語として離れている日本の文学の学習において生じる困難さ
が、古典作品になると、更に増していく点を克服するためにとられている措置でもある。
このように、日本語の継承語教育における古典文学の指導の目標は、非常に初歩的な段
階から設定されていて、最終的にはその中に流れる中心思想の理解にまで及ぶ。ただ、そ
の先の段階では、作品そのものをそのまま学習するのではなく、一つの教材として、その
思想の理解を踏まえたうえで現代文の様々なタイプの表現の練習に使用されることが主に
なる。このことは、他の2セクションには見られないものであった。
⑤ 生徒それぞれのアイデンティティー形成に古典文学の学習が影響しているか
日本セクションの生徒へのアンケートの結果から、教師の掲げる古典文学学習指導の目
標に対し、生徒の半数は、ほぼそれと同じ意識で学習していることが分かった。さらに、
授業で扱った内容を冗談にしたりして友人間で楽しめるなど、学習内容を個人のリラック
スした時間に持ち込んでアレンジしつつ楽しめるというレベルまで昇華できているという
生徒も何名かいた。
反面、
「古典の学習は必要ではない」と考えているものも半数あった。また、それに見
合う回答だが、「各自のアイデンティティー形成に古典の授業が影響していると思うか」
という問いに対して、ほぼ全生徒が「影響していない」との回答をした。
教師へのアンケートをみると、英セクションの教師は「
(古典文学学習による)生徒の
アイデンティティーへの影響はない」と回答している。ただし、シェークスピアなどの重
要な作家の学習については「多少あるのかもしれない」とも書いている。ここでも前述の
通り、英セクションがシェークスピア作品をたいへん重要であると考えていることが伺え
る。私自身としては「それは、児童・生徒の遠い未来に影響しているのではないか」との
考察がある。それは、今回のインタビュー、アンケートを含め、現在まで、卒業生と話し
をしたり、その父兄と話したりする際に感じ取ってきたものからそのように考察するので
ある。
英・伊セクションの生徒のものは、それぞれ1名ずつしか回答が得られなかったため、
比較のデータとしては不十分であり、この件に関する比較の研究は現段階ではできない。
ただ、日本セクションの生徒の回答から見て、この問いに対する真の答えは現段階では
生徒本人には見えにくいものなのではないかとの考察がされる。
この考察に基づき、今後、卒業生に同様のアンケートを行う予定である。
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3、まとめ
現段階で言えることは次の通りである。
3カ国の継承語教育の場での古典文学教材への取り組みを比較してみて、その中に国を
も超えて評価される(
「世界的古典」
「欧米知識人としての必須条件」等の評価を与えられ
ている)作家、作品があれば、必然的にその学習の重要性は増し、中等教育最終学年のプ
ログラムに組み込まれてくるものだということが考察された。さらに、日本セクションの
ように、その中に継承語教育における古典文学教育として外せない中心思想が含まれてい
ると、やはりその必要性は増し、最終学年でも扱うことになる。そして、両者ともに、そ
れを決定するのに大きく関与してきているのは、本国の教育決定機関なのである。
つまり、継承語教育における古典文学教育の内容は、その扱う作品群に国を超えた重要
なものがあるか、外せない中心思想があるかどうか、加えて、それを国の教育決定機関が
どの程度重要と考えているかに大きく左右されるということが分かる。
古典文学教育が継承語を学習する児童・生徒のアイデンティティーに与える影響につい
ては、現段階では比較考察ができていない。
今後は同調査を別の言語での継承語教育について、また、古典教材を学習していない他
の継承語教育機関に対しても行い、それらを比較研究する。また、児童・生徒へのアンケ
ート調査や共通課題による作文等の比較調査も引き続き行い、古典文学の学習が、彼らの
総合的な国語の能力、感性にどのように影響しているのか等をも探っていきたい。さらに、
それらの差異等から、今後の日本語継承語教育における古典文学教材の扱い方の改善点な
どについても考察していくものとする。
参考文献
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京:三元社
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『O.I.B の挑戦~日本、フランスの教育エクセレンシーの統合を目指
して~』
渡邉雅子(2010) 『O.I.B 勉強会』
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できること』 東京:株式会社アルク
田口雅子(2007)
『国際バカロレア 世界トップ教育への切符』 東京:松柏社
相良憲昭・岩崎久美子編著(2007)
『国際バカロレア 世界が認める卓越した教育プ
ログラム』 東京:明石書店
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中等教育学校等関係法令(抄)
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(2006)『中学校 国語1・2・3 学習指導書』 東京:光村図書出版株式
会社
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川崎寿彦(1988)
『イギリス文学史』 東京:成美堂
岩倉具忠(1985)
『イタリア文学史』 東京:東京大学出版会
江馬務ほか(1981)
『新修国語総覧 新訂増補』 京都:京都書房
稲賀敬二ほか(1992)
『新総合国語便覧』 東京:第一学習社
石田吉貞(2001)
『隠者の文学 苦悶する美』 東京:講談社学術文庫
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The comparison of classic literature educations in heritage language educations
OSAWA Yumi (Lycée International Saint-Germain-En-Laye)
I decided to research the learning of classic literature in places where heritage languages,
Japanese or other languages, were taught, and to make a comparative research on the topics
such as aims of learning them, where the elements to decide the contents are, how that affects
children’ and students’ building their identities as culture bearer of their mother culture. This is
the interim report on that.
Firstly, I conducted a hearing and a questionnaire survey about the above mentioned with three
sections in the school (Japanese section, English section and Italian section). It was considered
that the Japanese section put more emphasis on having the spiritual understanding in culture as
the goal. It was obvious from the transition of how to treat educational materials. And it was
considered that this was regarded to be the very contributor for understanding and acquiring the
mother language and the mother culture.
With regard to the contents of classic literature education in heritage language education, it was
found that they were greatly influenced by if works they use have something important that
surpasses the country, if the goals of learning them include an aspect of “learning the central idea which is essential to understand literature” and how much importance the decisionmaking-body of the country gives to it.
I will do the same research on heritage language education in different languages, as well as
other educational institutions where educational materials of classics are not learnt, and base on
the differences, etc. between those, I will consider the points to be improved about how to deal
with educational materials of classics in Japanese heritage language education in future.
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