今日の日本の日本語教育政策をめぐって

第七回フランス日本語教育シンポジウム 2005 年フランス・オルレアン
7ème Symposium sur l’enseignement du japonais en France, Orléans France, 2005
今日の日本の日本語教育政策をめぐって
星亨(HOSHI Tôru)
国際交流基金ケルン日本文化会館
1. 海外への日本語教育普及に対する政府の基本姿勢
「海外における日本語学習・日本語教育の推進は、日本文化についての諸外国の理解を
一層深めさせ、日本研究者、親日家、知日家の育成につながり、日本と諸外国との人的
交流に大きく貢献するとの認識のもと、日本語教育を文化交流施策の重要な柱と位置づ
ける。」*1
海外への日本語普及に対する現在の日本政府の基本的な姿勢を一言で表すと、以上の
ようになる。これを、英国、フランス、ドイツの自国語普及に対する基本姿勢と比較し
てみると面白い。すなわち、「諸外国の人々がイギリスに関する理解を深め、またイギ
リスがより多くの人にとって価値ある国であることを認識させる上で、海外への英語の
普及活動は重要である。
」*1 (英国)、
「ドイツ語を通してドイツ文化の理解を図ること
は、ドイツにとって重要である」*1 (ドイツ)、「フランス文化を他の諸国に伝えること
は、文化的、文明的大国としてのフランスの義務であり、フランス語は普遍的な文明を
伝達する手段であり、フランス語の普及は、人類に対する最大の貢献である。」*1 (フ
ランス)
、
・・と、表現こそ違え、自国文化を前面に据え、それに対する諸外国の理解を
図る手段として自国語普及活動を位置づけている点で一致している。
しかし、日本が上記のような積極的な姿勢を打ち出したのは、ようやく1990年代
も末になってからであるのに対し、ヨーロッパ各国は、17世紀以来「フランスの対外
文化政策とは、フランス語普及政策である」*2 とまで言い切るフランスを筆頭に、すで
に長い間上記のような認識を持っていた。日本と同じ第2次大戦の敗戦国であるドイツ
でさえ、「ナチスのような軍事力によるドイツの浸透でなく、今度はドイツ語による文
化の浸透を」という認識の下、すでに 1951 年にゲーテインスティテュートが設立され
ている。
日本が、このように自国語普及活動に対して積極的な姿勢を示すのが遅れたのは、言
うまでも無く、戦前・戦中の植民地政策の一環としての覇権主義的な日本語普及政策へ
の反省という一面がある。戦後の日本の言語政策を主導した国語審議会(2000 年に廃
止)も 1990 年代初頭までは、表記の問題を中心とした国内向けの施策を行ってきた。
それが、91~93 年の第19期審議会になってはじめて「国際社会における日本語」の
問題が取り上げられ、2000 年の答申「国際社会に対応する日本語の在り方」の中で、
国際社会における日本語の重要性が述べられ、世界に向けた情報発信の手段としての日
本語普及と学習者支援の必要性が語られた。
一方、実際の海外における日本語教育普及活動は、1972 年に発足した国際交流基金
の活動などを中心に、既にさまざまな形で行われてきた。しかし、それらは積極的な政
策に支えられたというよりは、過去半世紀に急速に拡大し、多様化し続けてきた日本語
学習のニーズに応える形で行ってきた施策の軌跡であると言える。ちなみに 2003 年現
在、全世界で 235 万人以上の人が日本語を学んでいる(国際交流基金調査)が、1997~
98 年に世界 28 カ国で行われた「日本語感国際センサス」
(国立国語研究所)の結果で
は「今後世界のコミュニケーションで必要になると思われる言語」として、日本語はオ
ーストラリアで英語についで第 2 位、アメリカ、中国など 6 カ国で第 3 位に挙げられた
という。こうした情勢は、英国の教育家にさえ、「これから数年間の外部からの挑戦を
考えてみれば、ヨーロッパの外では、アラビア語、日本語、中国語がとりわけ重要な国
際語になるように思われる。・・・かくして英語の将来に対する太平洋地域の経済のイ
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ンパクトはきわめて深甚になりうる。日本語あるいは中国語が外国語として勃興し、そ
のいずれかが極東の共通語になるという英語に対するドミノ効果は、きわめて深刻なも
のになろう。
」* 3 とまで言わしめるに至っている。
*註1:いずれも『諸外国における外国人受入れ施策および外国人に対する言語
教育施策に関する調査研究報告書』文化庁 2003 より
*註2:(Roche & Pigniau,’Histoire de diplomatie culturelle des orgines a 1995’,
Ministere des Affaires Etrangeres-ADPF1995)
*註 3:(Christopher Brumfit, ‘English2000:the professional issues’ in Best of
ELTECS The British Council 1995 )
2. 海外への日本語普及所轄行政機関および普及活動担当機関
日本語教育関連施策の所轄関連省庁としてはいうまでもなく文部科学省と外務省が中
心だが、文部科学省、文化庁とその関連機関は主に国内の日本語教育を担当している。
文化庁文化部国語科は国内の外国人に対する日本語教育に関するさまざまな施策を行っ
ており、文化庁所轄から 2001 年に独立行政法人化した国立国語研究所は「国語の改善
と外国人に対する日本語教育の振興を図ることを目的とした」総合的機関として位置づ
けられている。同研究所日本語教育センターは、①日本語教育の内容・方法に関する研
究・開発、②日本語および日本語教育の国際シンポジウムの開催、③教材・教具の開発
提供、④日本語教員の研修、⑤インターネットによる日本語教育支援総合ネットワーク
システムの管理運営などの事業を行っている。
一方、海外向けの日本語普及政策を担当している外務省系の機関のうち、外務省広
報文化交流部は各国にある在外公館を通じ、それぞれの国の関係団体と連携しつつ、日
本語教育、日本語普及活動を総合的に調整・支援している。また、2003 年に独立行政
法人となった国際協力事業団は青年海外協力隊およびシニア海外ボランティアプログラ
ム、ならびに移住者・日系人支援事業の一環として、ODA 対象国に対して日本語教師
を派遣している。同じく 2003 年に独立行政法人化した国際交流基金は、外務省の実施
する事業との連携を図りつつ、総合的に文化交流事業を行っているが、中でも日本語教
育支援をその大きな柱と位置づけている。国内に 2 ヶ所、海外に 7 ヶ所の日本語センタ
ーを有するほか、世界各地に 19 の海外事務所を持ち、こうした拠点地域におけるモデ
ル講座の展開、海外の日本語教育機関に対する日本語教育専門家の派遣、現地教師の給
与助成、日本語教材の開発・寄贈、現地講師を日本に招いての研修、世界 39 カ国・99
都市での日本語能力試験の実施など、さまざまな日本語教育支援関連事業を展開してい
る。
3. 日本語教育関連施策の変遷
上記機関の沿革や活動状況を中心に、現在までの日本語教育施策の流れを概観する。
1948 国立国語研究所設立
1959 海外技術者研修協会の発足
1960 海外技術協力事業団により日本語教師を東南アジアへ派遣(コロンボ計
画)
1962 外国人のための日本語教育学会の発足(社団法人日本語教育学会発足の
前身)
1971 国際協力事業団による海外移住者子女に対する日本語教師の派遣
1972 国際交流基金の設立、国際交流の大きな柱の一つとして日本語教育が位
置づけられる。
1973 国立国語研究所に日本語教育部を設置(以降、文部省、文化庁は国内、
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外務省、
国際交流基金は国外の日本語教育を担当)
1974 国立国語研究所日本語教育部が日本語教育センターとなり、国内外の日
本語教育への総合的な支援体制作りが始まる。
1975 社団法人日本語教育学会発足
1983 国際交流基金運営審議会答申で「海外での日本語教育の普及と現地化を
図る」ための国際交流基金の基本施策が述べられた。
1984 日本語能力試験実施
「21 世紀への留学生政策および展開について」(文部省国際局留学生課)
の中で、国内における日本語予備教育の充実とともに、海外での日本語
教育の普及と教育体制の充実についての施策が述べられている。また、
この中で西暦2000年までの「留学生受け入れ 10 万人計画」が提示さ
れた。
1985 文部省、留学生教育センターを 8 大学に設置、日本語教育を開始。
「海外での日本語普及の抜本的対応策について」
(国際交流基金)で、外
センターの設置をはじめとする海外での日本語教育の普及と現地化を図
るための施策がのべられている。
1986 国立大学に日本語教員養成科・課程の設置
1988 日本語教育能力検定試験実施
1989 国際交流基金日本語国際センターの発足
1990 国際交流基金、海外日本語センターを開設(バンコク、ジャカルタ、シ
ドニー)
1993 「日本語教育推進施策について―日本語の国際化に向けて」(文部省学術
国際局)で、海外における日本語教育の需要の増大への対応など、日本
語教育に関する包括的な意見が述べられている。
1999 「今後の日本語教育施策の推進に関する調査研究報告―日本語教育の新た
な展開を目指して」
(文化庁文化部国語科)で、多様な学習需要に応じた
日本語教育の推進を図ること、日本語教育を対外的な文化発信の基盤と
位置づけるこ、新しい情報メディアの積極的活用を図ること、日本語教
育の関係機関・団体の連携・協力の抜本的強化を図ることなどが述べられた。
2003 「留学生 10 万人計画」達成
4. 今後の展望
日本語教育普及に関連しての最新動向としては、昨年12月に国際交流基金理事長が
取りまとめ、各界有識者の連名によって総理官邸に提出された提案書で、戦略的な文化
発信の手段としての日本語教育の重要性が指摘され、「日本語教育をこれまでの受動的
な支援から積極的な推進へと転換することにより、国際社会における日本の役割を一層
強化することが可能」であるとの提案がなされた。
また、この提案書と軌を一にするように、小泉総理大臣を中心に昨年12月から本年
3月まで5回にわたって開催された「文化外交の推進に関する懇談会」において、日本
語普及政策に関するさまざまな提言が各界有識者からなされた。その提案の中で、興味
深いのは、アニメ、漫画、ポピュラー音楽などのサブカルチャーに注目し、これを日本
語学習の動機付けにしたり、教材開発に応用したり、日本のコンテンツ産業と日本語教
育、その他の文化政策の諸分野を総合したシナジー効果を目指そうという意見である。
こうした提言が、近い将来、具体的施策として実現することを期待したい。
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7ème Symposium sur l’enseignement du japonais en France, Orléans France, 2005
参考文献・資料
日本語教育の概観 社団法人日本語教育学会 1995.2
日本語教育施策の現状 花立幸雄 (日本の言語政策を考える--文化庁国語課だより—9)
明治書院「日本語学」1995.2
日本語教育行政の歴史 田島弘司(日本の言語政策を考える--文化庁国語課だより―10)
明治書院「日本語学」1995..3
国語政策の新しい展開 韮澤弘志(日本の言語政策を考える--文化庁国語課だより―11)
明治書院「日本語学」1995.4
英米独仏各国における言語政策の概要
浅松絢子(日本の言語政策を考える--文化庁国語課だよ
り―14) 明治書院「日本語学」1995..7
世界語としての英語の普及--イギリスの二つの事例
豊田昌倫 明治書院「日本語学」1995. 12
外国語としてのドイツ語--ドイツにおけるその方策と現状
川島淳夫
明治書院「日本語学」
1995. 12
フランスにおける方策と事業
古石篤子 明治書院「日本語学」1995. 12
新「ことば」シリーズ3-日本語教育 文化庁 1996.3
今後の日本語教育施策の推進について―日本語教育の新たな展開を目指して
今後の日本語教育の推進に関する調査研究協力者会議・文化庁文化部国語課 1999.3
日本語教育年鑑 2000 年版 国立国語研究所 くろしお出版 2000
国際社会に対応する日本語の在り方 国語審議会答申 2000.12
諸外国における外国人受入れ施策および外国人に対する言語教育施策に関する調査研究報告書
文化庁文化部国語課 2003.3
新・はじめての日本語教育1-日本語教育の基礎知識
高見澤孟監修
ア ス ク 2004
世界における日本語教育の重要性を訴える―日本が国際社会において一層の力を発揮するため
に
世界における日本語教育の重要性を訴える有志の会 国際交流基金ウェブページ 2004.12
文化外交の推進に関する懇談会の開催について 首相官邸ウェブページ 2004.12
文化外交の推進に関する懇談会(第 1 回)議事要旨 首相官邸ウェブページ 2004.12
日本の文化・思想の魅力の発信のための国際交流基金の取り組み
(文化外交の推進に関する懇談会第 2 回資料)国際交流基金 首相官邸ウェブページ 2004.12
日本の文化・思想の魅力の発信のための外務省の取り組み
(文化外交の推進に関する懇談会第 2 回資料)外務省 首相官邸ウェブページ 2004.12
文化外交の推進に関する懇談会(第3回)議事要旨 首相官邸ウェブページ 2005.1
日本コンテンツの国際展開に向けて
(同上参考資料)経済産業省 2004.1 首相官邸ウェブページ 2005.1
海 外 の 日 本 語 教 育 の 現 状 ― 日 本 語 教 育 機 関 調 査 2003 年
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国 際 交 流 基 金 2005.3